閑話

5/11
前へ
/935ページ
次へ
 「(ボン)……」と。  秦さんが、口を開いた。  大っ嫌いな呼ばれ方だ。  ――秦さん以外の人間がこう呼びかけてきたら、僕は絶対、許さない。 「……店が、白トリュフで、コースを用意できるって言ってましたが」 「軽くでいいよ、そんなに要らない」    一応訊いてみただけだ、とでも言う風に、秦さんがゆっくり頷いた。  テーブルに、スプマンテが運ばれてきて、僕はフルートグラスに口をつける。泡は結構強めで、チクチクと喉がくすぐられた。 「坊は『ミートソース』で?」  秦さんが、メニューを片手に小さく微笑む。    昔、秦さんに連れられて良く来ていた頃。  僕がボロネーゼしか頼まなかったことを、こうやってまだからかうのだ。  それにしたって、「オッサン連中」っていうのは、なんでこう、いつまでも他人を子供扱いしたがるんだろう。  ――老いると、現実の時間の進み方に、精神が追いつけなくなってしまうんだろうか?    そんなことを考えながら、バジルのスパゲッティを、さらりと優雅に口に運んでいる秦さんを、じっと見つめていると、秦さんが、「坊、こっちも食べたいんですか?」と言って、僕の方へ皿を滑らせる。 「別に、そうじゃなくて」    そりゃまあ、たしかに、ボロネーゼにするかバジリコにするか、ちょっとは迷ったけど。 「あのさ、『話』って何?」  ああ、話……と、秦さんが、飲み込むように鸚鵡返しにした。  そして、「まあ、もう少し喰ってからにしましょうか」と言葉を濁す。  ふうん、まあいいけど。  ともかく、いずれにせよ「楽しい話」じゃないってことみたいだ。  秦さんが頼んだ仔牛のカツレツと、僕のトリュフのサラダが運ばれてくる。  半分ずつに取り分けてもらった。
/935ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2743人が本棚に入れています
本棚に追加