3.下の句

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「あ、ちょっと待って!」 私は立ち上がる。 椅子が倒れ、激しい音を立てた。 あれ? ここは。 机の上には二週間前に書いた恋文模写が箱に詰められている。 寝てしまった状態のまま、何も変わってはいない。 帰ってきたんだ。 現代に。 私はペタッと床に膝を着いた。 着物がないから身体が軽い。 時計を確認してみると、夕方の時間になっていた。こっちの世界では数時間寝ていたということになっているのだろう。 平安時代では夜だったので違和感がある。 「もうちょっとだけ義孝といたかったな」 最後の時間。 凄く幸せだった。 「もう会えないよね」 私は自分の髪をかき上げる仕草をする。 けれどあるはずの髪の毛が無かった。 そうだ。こっちの私はショートヘアーだった。 「髪、伸ばそうかな」 髪の毛を弄りながら呟く。 すると机に肘が当たってしまい、一枚の和紙がヒラヒラと落ちてきた。 「これって……」 この和歌、上の句しか書かれていなかったはずなのに。どうして下の句が足されているの!? 私は食いつくように完成された和歌を読んだ。 目頭が熱くなってくる。 顔も熱いし身体も熱い。そして心が一番熱い。 その和紙を胸に当ててみる。 大きく揺れる心音が手に伝わる。 「ありがとね。義孝」 今度は和紙に口付けをした。 すると書かれていた和歌が義孝の声で耳に響く。 君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひけるかな いつもの優しい声だった。 ーー しばらく余韻を味わった後、私はその和紙を破いた。 そして新たな紙を取り出し、上の句だけを書いて箱にしまう。 これでいい。いや、こうしなければいけないと思ったのだ。 こうして私は全ての儀式を終えた。 婆ちゃんがご飯だよと呼びに来る。 「今日はあんたの好きなエビフライだよ」 「やったぁ!」 階段を駆け上がる。 一段一段が前よりも低く感じた。
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