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「なんで私がこんな事を……」
私は埃の匂いのする木箱の蓋をそっと持ち上げる。中には教わっていた通りの ”恋文” が入っていた。これはずっとずっと昔、平安時代から続く伝統により守られてきた我が家の機密文書だ。
ちなみにこの木箱の中にある恋文は、母さんに模写されたものになる。
「ウチの家の伝統なんだから仕方ないでしょ。黙って書きなさい」
母さんの言葉にウンザリしながら、私はペンを握った。書かないとしつこい説教が始まり、恋文模写についての熱い想いを語られる。それは何としても避けたい。
ーー恋文模写。
それは我が藤原家に伝わる伝統であり、女が生まれ、その子が十八歳になると必ず敢行されてきたという忌々しい行いだ。
詳しい説明をするとそれは、平安時代に藤原義孝という男性により書かれた和歌をひたすら模写し続けるという意味が良く分からない苦行なのである。
原本はもう紙の劣化で見る影もないのだが、そうしてこの遥か昔のおっさんによるきっしょい恋の歌は守られ、現代の藤原家に語り継がれている。
私は一枚目を取り出し、和紙に書いてある通りに模写を始める。
春の季節に好きな人が出来たというような内容のそれを、肘をついて欠伸をしながら書いた。
「はぁ……」
平安時代の義孝に教えてあげたい。あんたの恋愛模様、未来の家族みんな知ってるのよって。きっと驚き、赤面して、絶対こんな伝統が行われないようにとクギを刺す筈である。
「鈴奈や、あんたは私やあんたの母さんに本当そっくりだねぇ」
「お婆ちゃんっ! いつの間にいたのよ?」
突然背後から聞こえてきた声に私は驚き、ペンを落とした。
婆ちゃんはそんな私の慌てふためく様子に、声を上げて笑う。
「なにしにきたの?」
眉をひそめる私を見ても尚、婆ちゃんは笑いを止めようとはしなかった。
「あんたが大人になる前に一度会っておこうと思ってね」
出た。”大人になる”
恋文模写の話になると昔から婆ちゃんと母さんが必ず言う言葉だ。
十八歳の誕生日にこんなものを書くだけで大人になれるなんて、大人はそんな簡単なものなのか? といつも思っていた。
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