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追憶~ノスタルジア~
男はある場所へ向かっていた。
着いた先は、墓地である。
その男は、花束を携えて、
その門をくぐった。
そして、ある墓標の前に立った。
墓標には薄く雪が積もっている。
彼は、それを優しく払いのけた後、
雪が舞い落ちる夕空を仰いだ。
手をかざすと、その上に舞い降りた雪は
瞬く間に溶けていった。
吐く息が、白く染まる。
彼は、目をゆっくりと閉じた。
ー愛していたあの人は…もう…帰らないー
ーこれまで、幾度も血を浴びた事だろうー
ーそれでも、脳裏に浮かぶのは、花畑の中のあの人の穏やかな笑顔だけ…ー
ー門前で手を振ってくれた時もあったー
ー『おかえり』
と暖かな言葉をかけてくれた時もあったー
ー真冬の寒さで、手先から体の芯まで
冷え切った時は、優しく抱きしめてくれたー
ー今でも、その温もりを覚えているー
ーあの人は、『雨を愛してる』とよく口にしていた
ー彼女は、この日も愛していたのだろうか
ー時々、降っているのに、一言も口にしなかったー
男はやがて、我に返った。
ー死人に口なし。
今となっては、それを聞くよしもないー
ーあるのは、積雪によって、もたらされた
この沈黙だけー
男は、しばらく墓標を見つめたが
それに背を向けた。
ーそれでも、俺は生きるー
ーあの人の分までー
ーさようならー
ー愛してるー
男が帰還していく姿と、
その想いを雪は包み込んでいった。
fin.
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