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 今でもよく考える。  彼に出会わなかったら、自分の人生はどうなっていたか? ――多分それなりに人生を全うしただろうと、わりと容易に想像できた。  食べるために働いて、日々の暮らしのなかで小さな楽しみをみつけ、何かを作ってみたり、植物を育てたり。    同性愛者であることで、家族への後ろめたい思いだけはずっと、小さなトゲみたいに胸に刺さったままで。  それでも膿は大きく広がらず、たいした傷にもならないまま、一生を終えただろう。  それも人生。  胸が高鳴るような喜びもない代わりに、胸を切り裂かれるような孤独も知らない。他人が見たら驚くくらいの振り幅の狭さでも、智則はきっと後悔はしなかったと思う。  でも実際は出会ってしまった。  彼が智則の人生に登場して、世界は一変した。景色は色鮮やかだし、人々は感情豊かで、世の中はこんなに激しく動いているのだと初めて知った。  大きなけんかも、事件もなかった。ただただ毎日を無事に、小さな幸せを積み重ねてきただけの永い年月。  彼と過ごした、宝物みたいな数十年はあっという間に過ぎていったのだ。  出会ったあの日から、嫌いなところなどひとつもない、いとおしい存在である彼を思い出していた。
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