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駅の記憶
子供の頃、身体の弱かった俺は、静養という形で田舎の祖父母宅に預けられていた。
祖父母は優しかったけれど、まだ親が恋しい年頃で、泣いたりこそしなかったが、近くを走る電車が通りかかるたび、親が迎えに来てくれたのではとそわそわしていたらしい。
そんな俺だが、ある頃を境に、親を待ち焦がれるような真似をまったくしなくなったという。
両親はむろん、いつも側にいてくれた祖父母ですら理由は判らず、単純に、物分かりがいいから自分で納得したのだろうということで片づけられた。
その後、田舎暮らしがよかったのか、俺は少しずつ健康になり、今はすっかり健康体だ。
そうなると自分の日常が忙しくて、祖父母の家にはすっかり顔を出さなくなった。それでも先日時間の都合がついて、俺は十数年ぶりに祖父母が暮らす田舎を訪ねた。
久々に会った祖父母は、これでもかというくらい俺の訪問を喜んでくれた。特に祖父は、今ではすっかり健康体になった俺が、少しなら酒も飲めるようになったと知り、ご機嫌で一緒に飲もうと言ってきた。むろんそれを断る理由はなく、時折祖母にたしなめられながら、俺と祖父は酒を酌み交わした。
その翌朝。
目を覚ますと、家の中に祖父母の姿はなかった。
昔から近くで畑をやっているから、多分そっちにいるのだろう。そう考えながら俺も布団を離れ、家の外に出た。
懐かしい土地を、早朝散歩と歩いて回る。子供の頃は色んな場所が遥かに遠くにあるように感じられたのに、大人の足だとあっという間だ。
特に駅は予想以上に近い位置にあった。
両親恋しさに、祖父母の家からここまで、何度か勝手にやって来ていたという話は聞いたが、当時の記憶はまるでない。ただ、昨日もこの駅を利用しのに、昨日と今とでは受ける印象が違うと感じた。
小さな駅をざっと見回すが、特におかしいと思う部分はない。だから、印象の違いは気のせいだろうと、祖父母の家に帰りかけた時だった。
アナウンスどころか列車自体の音すらなく、駅に電車が滑り込んできたのだ。
たまたま早く目が覚めたので散歩に出たが、時刻はまだ五時台で、普通に考えれば電車が走っている時間じゃない。それでも、田舎で他の交通手段がほとんどないから、早い時間から電車が走っているのかもと、納得しようとした俺の目の前で扉が開いた。
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