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題材は、北海道民謡『ソーラン節』。
『ソーラン節』を検索したら、
ロック調のハイテンポなソーラン節に乗せて、
若者がブレイクダンス張りに集団で踊る画像、画像、画像……目が点!!(笑)
でもそれをきっかけに、この物語の骨子は固まりました。
そして調べれば調べるほど、
ソーラン節の変遷や、ソーラン節とニシン漁との関係の面白さに取り憑かれました。
歌うこと専門に、漁夫の2倍近い給料で雇われ、
歌で作業を統率したという、ハオエ船頭の存在。
囃子言葉が、実は作業中に息を合わせるためのかけ声であり、
歌詞の部分は労働の合間の休息、つまり束の間息を整える時間である、
という曲の構成。
作業中の束の間に歌われる即興歌だからこそ、
口頭や雑談で伝えられ、表には残らないようなスケベー歌詞(笑)
もう、そういうことが面白すぎて、
結果『ソーラン節歴史講座』のような物語に。
作業歌は、労働とともにあるもの。
戦後まで歌われ続けた多くの作業歌は、
高度成長、作業の機械化とともに、昭和30年代には全国的に姿を消して行きました。
『民謡』という形に整えられ、伝承芸能として生き残るしか道はなかった。
しかしそれはすでに、『作業歌』としての生きた形ではありません。
私の地元にも、民俗文化財としての労働歌があります。
『浜子うた』といって、入浜式塩田の浜作業で、塩浜の砂を掻き起こしながら歌うもの。
今はもう、作業経験者もなくなり、歌の伝承者を一生懸命育てている。
でも、作業の実態も知らない者が、歌だけを継いで行くことを、
どこか空しく感じてしまう。
生活や生業に根ざした労働歌は、その時代、その生業の中で歌うからこそ、
輝いているような気がします。
音楽は生き物。特に『歌声』は、人間にとって一番身近な音楽です。
だからこそ、人の生活や環境とともに変わって行くのは、当然のことなのですけれど、ね。
『ソーラン節』は、また違う形で歌い継がれていく機会を得た、
幸運な作業歌なのかもしれません。
本当は、ニシン場でのヤン衆の言葉は津軽弁で、
親方や老船頭の会話は北海道の言葉で、
ぜひ書きたかったのですが、
あまりに知識不足で、
アッサリ共通語で押し通しました。
瀬戸内の方言はバリバリ使って書いているので、チグハグなこと、この上ない!
方言をご存じのかた、なにとぞご教示下さいませ。
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