扉を開けて

3/10
60人が本棚に入れています
本棚に追加
/10ページ
全国展開する宅建会社に籍を置く父の転勤で、中学まで暮らした東京を離れこの地に来て、3年後。 私が高校を卒業する春に、あの惨事は起こった。 父は、これは天命だとこの地への永住を決め、会社を辞めて宅建や不動産斡旋の事務所を母と共に立ち上げた。 震災の影響で就職の内定を取り消された私は、住宅の修理や仮設住宅の建設に奔走する両親の事務所を、手伝うようになった。 元々父は3年で再び転勤予定だったため、私もあまりここに馴染むつもりもなく高校時代を過ごしてきた。 だから、まるで姿を変えてしまったこの土地には尚更馴染めないまま、ただ慌ただしく1年が過ぎた。 彼は震災の翌年、全国各地の自治体から派遣されてきた、役場の応援職員の一人だった。 本来は山口県の、とある市役所の職員だと聞いた。 任期は2年。その間ここに腰を据え、マヒした役場機能の立て直しを手助けできればと、 住居を世話した私達に頭を下げ、 決意に満ちた目で、言葉少なにそう言った。 『なぜ来ようと思ったの?』 そう尋ねた私に、 『公務員じゃけぇ、辞令が出ればどこでも行く。 27歳にもなった独り者にゃ白羽の矢が立ち易いんちゃ』 そう言って、微笑んだ。 独身時代に山口への赴任経験があった父は、彼の方言を懐かしがって、よく我が家の夕食に招いた。 両親は朴訥な彼を気に入っていて、 彼も『親父さん』『お袋さん』と呼んで慕ってくれていた。 私の馴れ馴れしいタメ口も、妹に接するように、彼は自然に受け入れてくれた。 彼に紹介した単身者用アパートは、私の自宅や役場のある市街地からは10㎞ほどの距離があり、好物件とは言えなかった。 彼はそれで充分だと言い、車での送迎を固辞して、自転車で通っていた。 両親の構えた事務所がアパートに近かったので、私は仕事帰りに彼の部屋に寄っては、他愛ない会話の端々に顔を出す、彼の方言を聞くのが好きだった。 彼はいつも私を子供扱いしたけれど、私が帰る時は『女の独り歩きは危ないけぇ』と、自転車で必ず家まで送ってくれた。 二人で話せる時間が延びるのが嬉しくて、道すがらはしゃぐ私に、彼はいつも 『お前、馬鹿じゃろ?』 と言う。 『生まれつきでーす!』 とニコニコしながら返す私を見て、また笑う。 キツい言葉の割に優しい口調で放たれる彼のその口癖が聞きたくて、私はいつも、わざとバカを言っては彼に纏わりついていた。
/10ページ

最初のコメントを投稿しよう!