扉を開けて

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最初の冬。 また押しかけた、彼の部屋で。 彼が飲み物を買いに出た隙に、 私は壁に掛かる彼の一張羅のジャケットを手に取り、袖を通した。 半年経っても子供扱いのままで、何の進展もない。 せめて彼の匂いに、全身を包まれてみたかった。 戻って来た彼は、ぶかぶかのジャケットを着て上機嫌な私に目を丸くして、また 『お前、馬鹿じゃろ?』 と呆れながら、温かい缶コーヒーのプルタブを開けて、差し出してくれた。 『ワシみたいな大人の男が着てこそ、価値が上がるんじゃ』 乙女心を解さない彼に、私はムッとして。 『私だってもう20歳だもん!』 彼の首に、ぶら下がるようにしがみついて、 私はいきなり自分の唇を彼の唇に押し付けた。 その拍子に溢れ出たコーヒーは、彼の一張羅にまともに染み込み、 驚きの眼で固まったままの彼から私が唇を離した時には、すでに大きなシミを作っていた。 いつもより無口になった、帰り道。 自宅の前で彼は、強引に私からジャケットを脱がせ、取り上げた。 『自分で洗うけぇ』 『ダメ!私がちゃんとクリーニングに出すから』 『……』 彼は、不機嫌そうに渋々ジャケットを私の手に乗せて、 そして不意に私の肩をつかんだ。 急に暗くなる視界に、聞こえる彼の息遣い。 唇の触れ合う感触。 唇が離れるのと同時に、彼の両手が私の肩から外れて、ジャケットごと私の身体を包み込んだ。 自分に起きていることが信じられずに、私は口走っていた。 『……さっきのリベンジ?』 彼の腕に力がこもって、耳許でため息混じりの声がした。 『お前、やっぱ馬鹿じゃろ?』 『一生治りませーん』 私はおどけながらも、 彼からの初めてのキスと抱擁が嬉しくて、彼の胸に顔を埋めてこっそり、涙を流した。 ジャケットは、手離すのが惜しくて、クリーニングに出したのは1週間も経ったあとだった。 案の定シミは完全には抜けなくて、彼にはまた怒られた。 『お前、馬鹿じゃろ?』 『えへへ、ご説ごもっとも』 呆れた顔をしながらも、いつもの帰りぎわ、彼は優しいキスをくれるようになった。 母は浮かれる私を見て、 『2年で帰る人なのよ?』 そう心配したけれど。 私は幸せで、その言葉の意味をまだ深く考えてはいなかった。 また春が来て。 夏が来る頃。 彼のキスは時折、深く、激しいものに変わることがあった。 でもそれ以上の行為を、彼は私に求めなかった。
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