扉を開けて

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狭い町だから見かけることはあったけれど、私に気づくと彼は目を逸らして、他人のように会釈をした。 アパートにも帰らず、個人的に会ってもくれず、 電話にも出てくれなかった。 私は焦りと不安で一杯のまま、 返事は来ないと思いながらも【会いたい】と、メールを送り続けるしかできなかった。 冬はそのまま過ぎていって、彼の任期は目前に迫った。 明日発つという日になっても、ついに彼からは何の連絡もなかった。 彼の固い意思のようなものを感じて、私は半ばあきらめていた。 仕事のあと事務所で、母が私に紙袋を託した。 『お弁当よ。送別会も出来なかったから、せめて餞別がわりに、って渡して来てちょうだい』 『え』 『ちゃんと話しておいで。後悔のないように』 父はそう言って、私を送り出した。 彼は今夜、部屋に戻って来るのだろうか。 【お母さんからお弁当を預かってます。部屋の前で待ってます。 会いたいです。】 そうメールして、ドアの前でお弁当を抱え、寒さに震えながら、私は待ち続けた。 不安と寒さとを紛らわせたくて、あまり飲めないお酒を買って、一気に飲んだ。 彼が帰って来たのは、深夜だった。 自転車のスタンドを立てる音に、凍えた顔をハッと上げると、彼が私を見ながら近づいて来ていた。 ほっとして、嬉しくて。 目がじわりと温かくなった。 彼はドアの鍵を開けて、私の腕から紙袋をヒョイと取り上げた。 『お袋さんによろしゅう伝えちょってくれ。 それから、……送っては行けん。親父さんに迎えに来て貰え』 言い終わると同時に、私の目の前で、ドアが、閉まった。 カチャン。 内ロックの音が、無機質に響いた。 『え?』 私は思わずドアを叩いた。 『開けて。話がしたいの』 『……』 『これで終わりじゃないよね? ねえ、開けて』 『……』 ドアごしに、確かに彼の気配があった。 『開けてってば!!』 涙が溢れて来た。 彼はきっと、開けてはくれない。 それが彼の決意なのだと、ようやく私はその時悟った。 絶対に言うまいと思っていた言葉が、口をついて出た。 『帰らないで』 『……』 『こっちにいて。……帰らないでよ!』 ドアを叩きながら、私は泣きわめいた。 『返事、して。 返事くらい、してよ!』 結局彼は、一言も声を聞かせてはくれなかった。 ドアにすがりついて散々わめきちらした私は、そのままズルズルとドアの前にへたり込んだ。
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