第二話

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第二話

自宅に戻り着替えを鞄に詰め込み車を駆って用賀から東名に入り名古屋で東名阪に入り亀で伊勢自動車道に入り玉城で下りて転院先へと一路向かった。 初めて東名を走った時には東名阪も伊勢自動車道もなかった。 名古屋から国道23号線をひたすら南下した。 東名で来たのを自慢できた時代だった。 陽は大台ケ原の向こう側に隠れようとしていた。 病室に入るとお袋は目を閉じていた。 気配に気づくことはなかった。 親父が「よう来たな」と言った。 その声にお袋が目を覚ましてニコッと笑った。 変わらぬ優しい笑い顔であった。 「うん」と応えたままで後が続かなかった。 翌日見舞った時にお袋は死について話した。 「あの時は死ぬと思ったなあ」と名を言って思い出すように溜息をついた。 あの時とは伊勢湾台風であった。風速70メートルの風で家が大きく揺れた。 箪笥が倒れるように揺れて下敷きになって死ぬと家族皆は観念したのだ。 「あの時は」と言いかけてそうして目を閉じてそのまま意識がなくなりお袋は一週間後に亡くなった。 息は呼吸と言うが息を吸ってしかし吐く息が伴わなかった。 70歳であった。 親父はその二年半後に亡くなった。 75歳であった。 その年に転業した。 しかし未練たらたらで4年間二足の草鞋を履いた。 最後の現場は小樽を舞台にしたテレ東の二時間物だった。 石原裕次郎は,しかし,52歳で亡くなった。 訃報を聞いたのは信州の山奥から東京に戻るロケバスの中であった。 「ドン松五郎の大冒険」の山の中でのロケの帰りであった。 この映画は、犬が主人公の大活劇映画であり関東の山々でロケをしていた。 製作会社はプロジェクトエーであり社長は二谷英明だった。 二谷英明は石原裕次郎と日活ダイアモンドラインをなしダンプガイと呼ばれた。 石原裕次郎はタフガイで小林旭はマイトガイで赤木圭一郎はトニーで和田浩治はやんちゃガイそれ以外は問題外と冷やかされた。
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