第四話

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第四話

大学も時代も激動し流動していた。 大学紛争で授業は開かれず尚且つ三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊で割腹自決した。 大学に楯の会の会員がいた。 入会を勧められた。 条件は、大学生であることと一か月の自衛隊入 隊体験であった。 べ平連もフォークゲリラも性に合わなかった。 楯の会への件を愚図愚図していた。 石原プロモーションは新入社員を募集していなかったからだ。 夏休みに大阪万博を見てから帰省した。 高校の同窓生らと会うと殆どが内定していた。 不意に焦りを感じた。 無気力な息子を見てもお袋は何も言わなかった。 優しい笑顔は変わらなかった。 伊勢市の映画館で「イージーライダー」を観た。 ますます映画製作の道を歩みたくなってきた。 東京に戻る途中で湘南の海に寄った。 湘南は「太陽の季節」の舞台であり石原裕次郎はこの映画でデビューしたのだ。 夕方に渋谷の下宿先に戻るとひらめいた。 そして石原プロモーションの中井景さんに手紙を書いた。 映画のクレジットだけで知っている人だった。 天に通じたのか中井さんから返信が来た。 「一度お会いしましょう」とあった。 直ぐに石原プロモーションに電話を掛けた。 翌週の火曜日の11時に虎ノ門の石原プロモーションで会うことになった。 そして社長室で中井さんと面談した。 「卒業したらうちに来なさい」と内定をくれた。 その後下宿までどう帰ったのか定かではない。 そして11月25日を迎えたのだ。 バルコニーで檄を飛ばす三島由紀夫の残像が脳裏から離れなかった。 14年後楯の会の制服を着てコロナを運転して市ヶ谷の自衛隊に入って行った。 ワーナーブラザーズの「ミシマ」の撮影でのことだった。 自衛隊どころか防衛庁の許可は一切なかった。 無許可は三島由紀夫も同じだった。 ポール・シュレイダー監督の映画に製作スタッフとして参加してそして楯の会の一人として吹き替 えとはいえ市ヶ谷に突入できたとは積年の悔いを晴らした感があった。 石原プロモーションをやめて12後のことだった。
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