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「大人の事情ッ!」  突然の大吾の声に、綾乃の手が止まった。今まさに開かれようとしていた戸の動きも止まる。 「大人の事情で、今は部屋から出られない。ついでに言うと、綾乃には見せられない状態になっているから、何があっても部屋に入らないで欲しい」 「大人の事情?」 「そうだ」 「私、知ってるよ、兄ちゃん。男子のパッションが高まることによって生じる、止むに止まない事情だよね」 「綾乃はまだ中学生なのに詳しいな。さすが我が妹。という訳で、どうかこの場から今すぐ離れて欲しい」 「でもでも、兄ちゃん、実はその要望、残念ながら今日だけは聞き入れることができないんだ」 「何故?」 「私、先週のテストで百点をとったんだ。今直ぐこの答案用紙を兄ちゃんに見せて、喜んでもらいつつ、頭をなでなでして欲しい気持ちなの。感覚的に言うと、4DSを買ってもらわないと抑えられない衝動が、今、全身を駆け巡ってる」 「そーかー、奇遇だなー。それならちょうどよかった。実は兄ちゃんも綾乃に4DSを買ってやりたい衝動が、昨日から全身を駆け巡っていたんだ。来月の小遣いが出たら、一緒にうなぎ堂へ行こうか」 「サンキュー兄ちゃん、愛してるぜ!」  大事にあたためていた諭吉二人+来月の小遣いが、大吾の財布から旅立ちを告げた瞬間である。世界で一番軽い愛を叫んだ綾乃は、嬉しそうな足取りで階段を下りていった。そのスキップの音が消えるのを待ち、きつねが身を乗り出す。 「すごいぞ、大吾! まさかこれほどのぴんちを乗り切るとは! 神社焼き討ち作戦も期待できるな!」 「へへ、あはは……」 「それでは、私は変化の術で鳥になって帰る。ではッ!」 「ではッ、じゃねぇーよ! さっき使えよぉおおおおおおおお!」  涙かれぬ夜、大吾が思いを馳せるは、鳥になって飛び立った悪魔と、諭吉二人の行方だろうか。大吾は真っ青な顔のまま、部屋を出ようと立ち上がった。しかし、足取りが悪かっためか、右足が左足につまずき、押入れの襖に頭から突っ込んでしまう。  大きな穴が開いた襖から、頭を引き抜こうとしてもなかなか抜けない。大吾は頭を突っ込んだまま、諦めた。諦めて、悲しみに身を任せることにした。  こうして、大の男の咽び泣く声が、夜のしじまを切り裂いた訳である。
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