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新快速に乗るべきだった。ちょうど一年前、就職がなくて行った田舎の工場から、僕は家に帰る途中だった。地元の繊維工場が正社員として採用してくれるというので、僕は滋賀県から京都まで帰ることにしたのだが、あいにくと湖西線の鈍行しかなく、そのまま一時間ばかりも列車に揺られることになった。田んぼや畑の風景はゆっくりと過ぎてゆく。石畳の道を歩き、築百年ばかりの我が家に帰り着くと、玄関先に見たこともない猫が座っていた。色は真っ白だ。僕は思わず、その猫の頭をなでた。
「お帰り」と猫が言った。
「おい、お前、しゃべれるのか?」
「そうだよ」と猫が言った。「これから正社員になるんだろ、頑張れよ」
確かに今まで、僕は派遣や請負といった非正規雇用で、職を転々としてきた。だが、猫にまで頑張れと言われるのは恥ずかしかった。
「猫の分際で、人間様に頑張れとはなんだ」と僕は怒るフリをしてみた。猫は動じる様子もなく、また「お帰り」と言って、今度は「ミャア」と鳴いた。築百年を超える母屋の梁が心なしかきしむように感じた。
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