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いくら憂えども、それが解決するわけでもないし、憂いは新たな憂いを呼ぶ。
だが、そうしているうちに、当然そこにあるはずのものがなくなっているような、写真の一部分だけがぽかりと穴が空いているかのような、違和感がじわじわと大きくなっていく。
「……そういや勇者は?」
ある瞬間に、その正体をふっと思い出した。
それこそが、もうそこそこの付き合いとなっていた勇者の存在である。
この三日間、自分のことやワガママ女性陣に振り回されたりで、他人に気を遣っている暇もなく、なにより勇者のことはさほど心配もしていなかった。
買い物なども独自に済ませているものだと思っていたし、昨日一緒に行動していなかったこと自体は疑問に思わない。
それにしても、あれ以来全く姿を見せないなんてことがあるのだろうか。アパートの近所付き合いなんてその程度のものなのだろうか……それは弟に知る由もないのだが。
「いやそれにしたって……このボロボロのうっすい壁一枚隔てた向こう側だぞ? 生活音が全く聞こえてこないなんてことあるのかよ……」
そう、あまりにも不自然。
多少なりとも、人の気配がしないとおかしい。
そこまで考えると、もう嫌な予感しかしなかった。
「あ、あの野郎……まさか夜逃げしたんじゃ……!?」
充分、可能性としては考えうる行為である。
勇者だって好きで魔王らと共にいるわけではない。環境にうんざりして、城が崩壊したという混乱に乗じて逃げ出してもおかしくはない。
一人減る分には、金がかからなくなるので構いはしない。だが勇者に万一のことがあっては、女神に新たな……特に、より強力な勇者を選定されてしまう可能性もなきにしもあらず。
できることなら、あの弱い勇者を繋いでおきたい。
その思考は一瞬にして弟の頭に駆け巡り、筋肉痛で悲鳴を上げる体にムチを打って飛び起きた。
そしてすぐさま玄関を出て、隣の102号室の扉を叩く。
「勇者ァァァァ!!」
意外にも、その扉は簡単に開けることができた。鍵がかかっていなかったらしい。
少なくとも、玄関とそこから見える範囲には生活感は感じられない。弟は勇者の痕跡を探すべく、どんどん奥へ入っていく。
……すると、どうだ。
六畳間のそこに、横たわって動かなくなっている勇者らしき者を発見したのだった。
「ゆ、勇者ァァァァ!?」
弟は頭から、サーっと血の気が引いていくのを自覚した。
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