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だが、どんなに不安がっても、この状況から逃げおおせることはもはや不可能。
女神は、すでに弟の耳の中へと、耳かき棒を挿入していたのだった。
「……どう? 気持ちいい?」
「あー……」
正直言って、かなり微妙だった。
これが初めてだと言っていた通り、その手つきはかなりぎこちない。
耳を傷つけないようにと意識するあまり、される側からしたら物足りなく感じてしまうのだ。
「なによ、はっきり言ったらどう?」
「……一生懸命さは伝わってくる」
精一杯のフォローだった。弟には、これ以外に気の利いた言葉を返せる気がしなかった。
その中途半端なフォローが、逆に女神の機嫌を損ねることになる。
「ふんっ、悪かったわね……どうせ私は不器用よ」
「いや、悪く言ったつもりはないぞ。むしろ……」
「……むしろ? なによ?」
さらにフォローを重ねる弟は、なにかを思い出して言いかけたセリフを飲み込んだ。
ここまで聞いてしまったら、最後まで聞かねばすっきりしない。女神はその続きを聞き出そうとする。
「言わないと、あんたの耳が血まみれになるわよ」
「ガチで怖ぇ脅しはやめろや!」
状況が状況だけに、冗談とは受け取りづらい。弟の耳の命運は、完全に女神に握られていた。
「……少し、昔を思い出しただけだ」
数秒ほど考えて、リスクを負ってまで隠し通すほどのものでもないか、と素直に打ち明けることにした。
それは、幼い頃のささやかな記憶。
「引きこもりになる前の姉ちゃんも、こんな感じで不器用なのに耳掃除してくれたんだよ」
同じくまだ子供だった頃の姉との思い出。
姉は確かに不器用だったが、それでもこうして耳掃除をしてくれたり、そのひと時に幸福を感じていたのだ。
「……それじゃまるで、私があのクズニートに似てるって言われてるみたいじゃない」
「だから他意はねぇって……」
似ているということは、否定しなかった。
本当にふと思い出してしまったのだから仕方がない。そしてこれをきっかけに思い出したということは、やはりどこか似たような感覚があったということ。
「でもまあ、嫌いじゃない。……その頃の姉ちゃんは、本当にいい人だったんだから」
そう呟いた弟は、どこか寂しげな雰囲気で。
女神はその言葉に何かを返すでもなく、黙々と耳掃除を続けた。
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