1090人が本棚に入れています
本棚に追加
「……ねぇ」
それから少しして、女神の手が止まる。
もうこちら側の耳は終わったのか、と弟は一安心したが、それはとんだ勘違いだった。
「あんた、今でもあいつが一番なの?」
「……? どういう意味だ?」
「だから……まだあのクズニートのことが好きなの? って聞いてんのよ」
「ッ!? なッ、なにを突然っ……!?」
気を緩めたところに渾身の一発をもろに食らった弟は、危うくむせかけた。この質問の意図はまるでわからないが、答えにくいことこの上ない。
ひとまず大きく深呼吸して、息を整える。頬の火照りも治ってきた。
「……あんなのでも、血の繋がった身内だ。本気で嫌いにはなれねぇよ」
「なんで? 変に気負ってるのは、あんただけかもしれないのよ?」
本当に、今日の女神はどうしたことだろうか。いつもよりグイグイ踏み入ったことを訊いてくる。
先程は答えにくい質問だったが、これは答えようのない質問である。何故なら、そういう性分だから、としか言えないからだ。それで納得する者が、この世にどれほどいるだろうか。
「……私じゃ、あんたの一番にはなれないかしら?」
黙ったままの弟に、淡々と女神は告げる。
耳掃除をしてあげる前までは、弟にも自分と同じ恥ずかしさを感じさせてやろうとしか思っていなかった女神だったが……明らかに心境に変化が現れていた。
「私のことだけを見ていれば……余計なこと、全部忘れられるわよ。過去に囚われたままは辛いでしょ」
女神の中に芽生えたそれは、弟への気遣いなどではなく……彼の心の内側に棲む、『姉』への対抗心。嫉妬、とも言い換えられるだろうか。
女神たる自分がここまでしてあげているのに、自分以外の者のことを考えている。それが、彼女には許せないことなのだ。
「構やしねぇさ。俺だけのうのうと先歩けるか。止まっちまった姉ちゃんの時間進めなきゃ、俺の足も進められねぇよ」
だが、弟の意思、決意は固い。
彼は姉とともに歩むことを選んだ。誰が見捨てようが、自分だけは隣に居ようとあの日に誓った。
姉の時間を止めたのは、自分自身。
ならば、その時を動かすのも、また自分自身がやるべきだと、そう強く思っているのだ。
「……ふん、とんだシスコンね」
その思いは、自分なんかではどうにもできないと理解していたからこそ……女神は小さく、悪態をついた。
最初のコメントを投稿しよう!