8人が本棚に入れています
本棚に追加
手を向かいに伸ばして彼女の返事を待つが、アナは俯けた顔を左右に揺らした。
「ごめんなさい。すごく嬉しいけど、私……ロンドンにはいられない」
真摯に答える彼女の瞳はとても狂気に満ちて、それでいて澄んでいた。
けれども食事が運ばれて来た頃には彼女は笑顔に戻り、肉を豪快に頬張っていた。
その様子を見ながら私は前菜を口に運び、その後に魚を食す。
そうして数時間かけて食事を終えて外に出ようとすると、彼女は店のトイレに行くと言って引き返した。
数分で出てきた彼女は疲れた様子だった。
「アナ、顔色がよくない。どこかで休もうか?」
「ううん、平気」
「吐いてきたの?」
それには何の返事もせずに眉だけを動かした。
そうして外に出て、そのまま市場に続く夜道を歩いて行く。
「ワット、ごめんなさい」
「何が?」
「せっかくの、食事……」
「気にすることないよ。君のそれも、すべてはファントムのせいさ」
市場の建物が見えてきた辺りで雨が急に降り出した。
持っていた蝙蝠傘を開いてまた歩き出す。
ウインドウに移った自分と目が合う。
ネイビーのコートに身を包む、さも気取ったジェントルのように顎と鼻下に髭を伸ばし、格好だけは気丈に着飾っていた。
「観光客はともかく、ここはあまりいい場所じゃない。しとしと雨が降る(※A gentle rain is falling)夜にかつての処刑場……とくれば、幽霊の溜まり場だろう」
危険を察したのか、アナは簡単に頷いた。
「そうね。引き返しましょう」
彼女は振り返って来た道を戻ろうとする。
最初のコメントを投稿しよう!