夕暮れ滴

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原因が思い当たらないという風に、槙はのんびりつぶやくように言う。 ふと槙を見上げる。 まだ日焼けしていないその顔に浮かぶ笑みは、どことなく幼さを残していて、人を和ませる雰囲気を醸し出していた。 「何だよ?顔に何かついてる?」 訝しげに顔を傾けた槙の言葉に、じっと見すぎていた自分に気付いて克也は思わず目を逸らした。 「相変わらず競技者とは思えない発言だな、と思ってさ。もっと自分の身体に気遣えよ?」 スプリンターの瞬発力を発揮する筋肉は、瑞々(みずみず)しい肌に閉じ込められ、独特のしなやかさを見せている。 的確な指示のもとに行ったトレーニングの成果なのか、無駄な筋肉が一切ついていない。 この飄々(ひょうひょう)とした槙がスタートラインに立った時の射抜くような視線は、まるで獲物を狙った獣だ。 争い事は好まないような顔をしておきながら、案外好戦的な奴なのかもしれないと、いつも克也は思っていた。 足を左に代えて、再びゆっくり回す。 こちらは大丈夫そうだ。ということは、若干右足に負担がかかっているのかもしれない。 「槙、明日も右足おかしかったら、一度トレーナーに診てもらった方がいいぞ。」 「え、そんなに?うーん、そこまでかなあ。」 「こういうのは足首だけの問題じゃないことも多いんだぞ。腰から来てることもあるしな。症状が軽いうちに治しておく方がいいんだ。」 負担がかかると、まずフォームが崩れてしまう。 そうなると、なし崩しにいろんなところに無理が来て、かばっているうちに身体が悲鳴を上げ始めてしまう。 「そうなんだ、分かった。」 槙は納得したように笑って頷く。 陸上に関しては初心者だという意識が未だに強いらしく、アドバイスに対して反発することが無い。 槙を急成長させているのは、そういう素直な部分なのだろう。 「おーい、集まれー」 コーチが呼ぶ声がした。 散らばっていた部員たちが一斉に駆け寄ってくる。 「克也、ありがとう。」 槙はサッと立ち上がると、足踏みをして感覚を確認してから軽く走り出す。 克也も追いかけるように駆け出した。 「全員揃ったな?」 部員たちの顔を見回して、コーチは一枚の紙を取り出した。 いよいよ選抜メンバーが言い渡される。全員の顔に緊張が走った。 「まずは・・・」 一番最初に挙がった名前は3年の一番のホープ、村上拓だった。
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