夕暮れ滴

8/13

2人が本棚に入れています
本棚に追加
/13ページ
「髪濡れたままだと、体調崩すよ?克也、タオル持っていかなかったの見えたから・・・。」 槙はそう言いながら、手に持っていたタオルを克也に投げてよこした。 サンキュ、と言いながら柔らかい繊維に顔をうずめると、ほのかに槙の匂いがする。 「髪を拭かなきゃ、意味ないよ。ほら。」 タオルを取り上げて、槙はジャカジャカと克也の髪を掻き回した。 うわ、乱暴だな!と言いながらも、克也の中からイライラが徐々に抜けていく。 「克也、蛇口ちゃんと閉めろよ。水、垂れてるよ?」 見れば、水をかぶった蛇口から、滴がポタリ・ポタリと落ちている。 克也はもう一度キュッと蛇口を閉めた。 しかしすでに閉栓は限界だったらしく、どんなに固く閉めても滴が収まることは無かった。 「あー、こりゃダメだ。閉まりきらねぇわ。」 克也は諦めて、その滴を眺めた。 槇も黙ったまま滴を見ている。 練習が終わるころはいつも、校舎に西日が差して空も風景もオレンジに染まる。 今日も素晴らしい夕焼けだ。 蛇口からしたたるその滴は、まるでガラスが反射するようにキラリと光りながら、一定の間隔で落ちていく。 槙の穏やかな微笑みを、やはり夕日が染めている。 克也は一瞬その横顔に釘付けになった。 「克也、俺はね、ホントは陸上なんて大嫌いなんだ。」 不意に槙は歌うように言った。 「え?」 「みんなには、ナイショな。」 振り向きざまに、寂しそうな目で笑った槙に、克也は言葉を失ったまま立ち尽くした。 * インターハイを目前に控えた7月下旬、いよいよ練習も大詰めに入った。 部全体が、殺気立った空気に支配されている。 ハードな練習内容をこなしながらも、その疲れを翌日まで持ち越さないよう自身を徹底管理する。 その日もひたすら走り込んで最後の調整に入っていた克也は、向こう隣のコースで走っている槙をチラッと見た。 陸上が大嫌いだ、と聞いてからひと月余り経つ。 その間、それらしい発言は2度と聞くことは無かったし、選抜メンバー発表の5月以来、槙は更に実力をつけて克也のタイムに追いつき、追い越すまでに成長した。 本当に陸上が嫌いなら、ここまで出来るものだろうか。 あの時の切ない表情は、その後しばらく克也の心をざわめかせた。 自分の知らない槙が、確かにいる。
/13ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加