フツウに、なりたい。

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あいつはそんな俺に恥ずかしそうに 俯いたから、 俺はあいつに再び手を伸ばした。 あいつは慌てて額を防御したけど、 それは無意味で。 俺はあいつの頭の上についた枯れ葉を、 耳の後ろについた枯れ草を、 左肩についた赤い紅葉を 綺麗に取り去っていった。 あいつは額を覆っていた手を離して、 俺を見上げた。 視線が絡み合う。 「……あ、ありがとうございます」 あいつはちょこんと頭を下げて 俺から離れようとするから、 腕の中に引き寄せた。 俺の腕の中であいつの身体が ビクッと硬直したのがわかった。 でも、俺はさらに強く抱きしめる。 抱きしめたからって、 どうなるわけじゃない。 でも。 ずっと抑えこんできた気持ちを 伝えたかった。 「俺は…………」 そう言いかけた時。 「あ……虹」 あいつは顔を上げ、俺の背中越しに 虹を見上げているようだった。 「…………翔君」 俺ははっとして、身体を離した。 あいつは、俺をじっと 見つめてーーー微笑んでいた。 その目に大粒の涙をためて。 「登山靴」 「?」 「千晴さんにもらった理由、 思い出したよ」 瞬きをしたあいつの目から涙が 溢れ落ちた。 「翔君は映画の券もらったのに、 誘ってくれなくって残念だったな」 「…………」 「でも、嬉しい。 デート、ここに来たかったから」 記憶を取り戻したばかりのあいつは そう言って、満足そうに微笑んだ。 そして、ゆっくりと俺に顔を近づけると、キスをくれた。 軽く触れるだけのキス。 それでも、俺はすごくシアワセで。 あいつの温もりをもっと感じたくて、 キスを返す。 まだぎこちないあいつの唇を開いて、 ちょっと乱暴なぐらいに入っていくと、 胸に刺さっていた矢はいとも簡単に するすると抜けていき、あとは心地好い 快感だけが押し寄せてきた。 「っと、待って」 あいつが俺を突き放す。 「……何?」 「何?じゃなくて、誰か来たら どうするの?」 「来たって、続ける」 俺は再びあいつの唇を奪った。 虹はキラキラと七色の光を 俺達の上に注いで、 やがて静かに 消えて行った。
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