夢のカケラ

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走っているときはあんなにキリリっとして人を寄せ付けないほどの気迫を感じるのに、一旦コースから下りてしまえば、途端に猫のようにすり寄ってきて屈託なく笑う。 その人懐こさと天然ぶりで、いつの間にか卓は部の人気者になっていた。 これだけすごい実力があれば嫉妬に駆られる輩も出てくるはずだろうに、卓に妬みの目を向ける者は一人もいなかった。 俺たちの同期は、全部で32人。 毎年箱根に出場しているこの部は、卓のように特待で入ってくる選手もいるけれど、俺たちのように“ここ”を目指して一般入試で入ってくる奴がほとんどだ。 みんな箱根に憧れて、箱根を夢見て来る奴らばかりだ。 先輩たちは2~4年合わせて68人、総部員は100人いる。 その中で箱根を走れるのはたった10人。 4年間在籍して、一度も夢の舞台に立てない者の方が多い。 それでも、厳しい練習に励みながら高みを目指す。 部員の中でも卓は、殊更練習に熱心だった。 誰よりも早くグランドに出てきて、ストレッチを始める。 みんなが出てくる頃には、すでに軽く足慣らしのジョギングをしている。 雨の日には部室に籠って、トレーナーに身体のメンテナンスをじっくりやってもらったり、監督に自分の弱点を積極的に聞きに行ったりしていた。 そのストイックな一面を見て、俺も一緒に頑張ろうとするうちに、部の中では自然にふたりで居ることが多くなった。 「優~、なんか腹減った。コンビニ付き合えよ。」 部活後、卓はいつもこんな風に言っては、腹を擦りながら俺の腕を掴んで走りだす。 おい、待てよ、俺財布持ってない! 焦る俺に、大丈夫、貸すからと笑ってたっけ。 大学前のコンビニの常連で、ジャムパンと牛乳の組み合わせが奴の定番だった。 俺はその時の気分で、カレーパンだったりクリームパンだったり。 それを部室前のベンチで並んで食う。 金はその都度ちゃんと返していた・・よな、確か。 部員たちが口々に“お疲れ”と言いあいながら帰宅していくのを眺めながら、俺たちは無言でパンをかじる。 夕日に照らし出される卓の横顔は、いつも満ち足りたように穏やかだった。 あの時、卓は何を考えていたんだろう。 どんなに過酷なトレーニングの後でもその表情は変わることは無かったし、そもそも卓が弱音を吐いている場面を見たことが無かった。
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