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「賢人!」
愛しい弟の名前を再び口にしようとしたとき、近くで誰かがその名を呼んだ。
突然のことに驚いてその声の主を探すと、一人の男性が息を切らして走っているのが分かった。彼はあたりを見渡して焦りを表情に滲ませている。
賢人はその男性を見ると、土がついている手を払って一目散に駆け出した。
「どうしたの?」
「あれ、僕のお父さん。僕、今プチ家出してるから、見つかっちゃダメなの」
賢人はそう言うと大きな遊具の後ろに姿を隠してしまった。「お父さん、心配しているからダメだよ」と言おうとした瞬間、私はまるで風船がはじけたかのようにはっとなった。
そうだ、彼が賢人の父ならば――あの人は。
「私の、父さん……?」
もう一度あの男の人を見る。まだ公園の周辺にいる彼は賢人を探しているためか、激しく首を左右に振って視線を巡らしていた。
その顔は、まさしく私の父そのもので。
私は不意に湧き上がってきた怒りに対抗するかのように唇をかみしめた。無意識のうちに爪の跡が残るほどきつく拳を握る。彼こそ、私と賢人を遠ざけた張本人だ。
怒りにまみれた私の心は、もうまともな判断ができなかった。本来なら、賢人を父のもとに帰すのが妥当だ。けれど、私には別の考えが浮かんでいた。
――賢人に協力してあげよう。
そうだ、彼に見つかったら、賢人はすぐに連れ戻されてしまうだろう。そんなのは嫌だ。せっかく会えたのだ。もっと話がしたい。もっと、一緒にいて楽しく笑いあいたい――。
私は遊具の後ろに隠れている賢人に向かって呟いた。
「分かった。協力してあげる」
私はわざと賢人の父に近づいた。彼と私の視線がぶつかる。
「あ……」
父は明らかに狼狽してあとずさった。まあ当然だろう。もう会わないだろうと思っていた実の娘と数年ぶりに再会したのだから。
私は冷たい薄ら笑いを浮かべた。醜いほど怒りにまみれているのに、微笑を浮かべることができる自分を奇妙だと思った。
「久しぶりね」
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