352人が本棚に入れています
本棚に追加
「お詫びに一曲プレゼントするよ」
「は?」
いきなり、何を言い出すのかこの子は。
「ちょうど、歌いたい気分だし」
「・・・」
どこからどう考えても、原因はそれだ。
しかし、言及する間も与えずに彼女は息を吸う。
高らかに歌い上げる彼女の歌声は、思わず聞きほれてしまうほど見事なものだった。
「どうだった?」
「よかったわ。何ていう曲?」
「シューベルトの『アヴェ・マリア』」
「へぇ。初めて聞いたわ」
「ああ。あんまりメジャーではないかもね。しかもこれ、宗教曲じゃないし」
「ふぅん」
そこまでの知識や歌唱力がありながら、なぜ音楽家の道に進まなかったのかという疑問が一瞬頭を過る。
「音楽家の道には、進まなかったの?」
「・・・一応、大学近くのジャズバーでピアノは弾いてたよ」
「へぇ」
それ以上は『聞くな』という雰囲気が漂っていたので、口を噤むことにする。
それでも、何かを考え込むようにしていた彼女は、しばらくすると顔を挙げた。
「じゃあ槙さん、私、そろそろ行くね」
そう言うと彼女は踵を返す。
彼女のいなくなった屋上で、私は溜め息を吐いた。
最初のコメントを投稿しよう!