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伊藤ネネの元に、疎遠になっていた弟の死のニュースが飛び込んできたのは、梅雨が明ける前のジメジメした日の朝だった。
取り乱した母を落ち着かせて、ネネはバイク事故で運ばれたカケルを引取りに病院に向かった。カケルは、母と離婚した父の元に行き、ヒュッテで働き始めていた。その仕事の一環なのか、山道で単独事故を起こしガードレールを突き抜けて、そのまま帰らぬ人となった。
久々に対面したカケルの顔はかすり傷こそあったが、幸い大きな傷は無く、ヒュッテでの仕事をしていたせいか肌は浅黒くなり、精悍な顔立ちになっていた。
眠っているようなカケルにしきりに話しかける母の姿に、ネネも止めどなく流れる涙を何度も指の先でぬぐった。そしてふと、何かを忘れているような気になった。
母の背中を見ながら思い出そうとしたが、結局何も思い出せなかった。
「ネネさん」
喪服姿の中年の男性が、通夜の席で寿司桶を片付けているネネに話しかけてきた。一瞬誰だか分からなかったのは、一回しか会ったことのない相手だったからだ。
「ああ!わざわざいらしてくれたんですね」
ネネは驚いてその男性に向き直った。
彼はカケルの元彼女の父親だった。元彼女と言うのは間違いかもしれない。彼らは別れたわけではなく、神、もしくは仏によって別れさせられたのだ。あの世とこの世に。しかも彼女もバイク事故だった。運転していたカケルは無事だったが、後ろに乗っていた彼女は投げ飛ばされ、道路に叩きつけられた。警察によればカケルに非は無かったが、彼女が戻ってくることはなかった。もう四、五年前の話になる。
そういえばあの事故以来、カケルがバイクに乗るところを見たことが無かった。また最近乗り始めた頃に起きた事故だったのだろうか…。
ネネが物思いにふけりそうになったとき、彼女の父親が悔みの言葉を言い始めた。ネネは急いで遮った。
「田川さん、いいんです。本当に、よく来てくださいました」
田川からすれば、カケルは娘の命を奪った相手だ。顔も見たくないだろうし、またバイクで事故を起こしてざまあみろという気持ちを持ってたとしてもおかしくない間柄だ。
「いえ、汐里の思い出を話す相手が減ってしまって、私も寂しいですし、まだお若いのに本当にお気の毒です」
そう言ったが、言葉の最後に目が泳いだのをネネは見逃さなかった。
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