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田川とカケルが思い出話をしていたとは思えない。そして、若かったのは田川の娘も同じだ。
(この人、何が目的なんだろう?)
不審に思っていると、「ネネ!」と母の呼ぶ声が聞こえた。
「どうぞゆっくりお食事なさってくださいね」
そう言ってその場を立ち去ろうとすると、田川が平坦な声音で言った。
「指がね」
「え?」
「指が見当たらなかったんですよ、汐里の左手の薬指が」
能面のような表情になって、田川はネネの顔を見つめていた。
告別式が終り、遺骨を抱いた母を先にタクシーに乗せ、ネネも遺影を抱えて乗り込んだ。葬儀を無事に終えた疲れから、二人とも無言で互いに窓の外を見ていた。すると、一つの区切りがついたという安堵感から、ネネの思考は動き始め、カケルのある姿が脳裏に浮かび上がった。
「あっ」
「なに?」
ネネの思わず上げてしまった声に母が反応したが、ネネは「なんでもないよ」と少し笑い、前を向いた。
数日後、昼食を済ませたネネは、母が出かけるのを見計らって家の裏に入り込んだ。今日はちょうどお盆で、会社は休みだった。
短パンから出た足が蚊に刺されないかと心配しながら、井戸の前に立つ。ネネの家は井戸水が出るようになっていたが、十年以上前に使用を止めて、蓋をしてしまったのだ。母の判断だったが、理由は覚えていない。
ネネが田川と通夜の前に会ったのは一度だけで、それはカケルと彼の娘、汐里が運ばれた病院でのことだった。カケルは左足の骨折だけで済んだが、汐里はアスファルトに身体の左側を強く叩きつけられ、左手はねじ切られるような形をしていたと、後から聞いた。カケルは、「オレがあげた指輪が、指に食い込んでたんだ」とボソリと言った。婚約指輪のつもりであげたものだったらしい。
カケルがしばらく入院していたので、ネネも母と代わる代わる病院に通った。
病室に入ろうとしたとき、ネネの傍らを走り抜けて飛び出していったのが、田川だった。血相を変えたその顔に驚き、ベッドの上で身体を起こしていたカケルに「どうしたの?」と訊いたが、カケルの表情は固く、何も言わなかった。
帰り際にナースセンターの前を通ったとき、微かに聞こえてきた会話があった。
「夜中に徘徊してるらしいのよ」
「でも事故の後遺症じゃないんでしょ?」
ネネは井戸の蓋に手をかけることをためらっていた。目をつむり、もう一度記憶をたどる。
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