鵜飼君の話

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君が言う通り、確かに僕は場の空気を読むのが、得意です。いえ、得意だったと言うべきでしょうかねぇ。大学生活の半ばから、僕にとって空気を読むことは、息をすることと同義になってきたのです。極めてオートマティックに、人と関わるときには相手の呼吸に合わせている自分に気付きました。空気を読むというのは、どういうことだと思いますか。 今、自分の周囲にいる人がどんな顔をしているのか。その表情がどんな心情や気分なのか?また社会全体、あるいは自分の属する組織のなかの力関係を、鋭く機敏に察して流れに身を任せるのが、僕です。 いや、もちろんそれは悪いことではありませんよ。人間関係においては、むしろ肯定的に推奨されるべきでしょう。集団の和を乱さないことは、一つの美徳と言えますからねぇ。 ですが、それが行き過ぎれば、蝙蝠の如き、変わり身ばかりの生き様ですよ。己れの信念なんてありません。ただその場、その場で相手に合わせてくるくると向きを変える、風見鶏なわけです。 そんな生き方に、自分なんて必要でしょうかねぇ。大きくなるにつれて、その傾向は強くなり、僕は自分がどんな人間なのか解らなくなってしまいました。
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