鵜飼君の話

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はっきり言わせてもらうと、僕は君らとの学生生活にしたところで、どれだけのことを自分から望んで行ったのか、僕自身にも解らないのです。一見、能動的に見えて、その時の状況に反応している全くの受動的人間なわけですよ。 今日、僕が語ったかなりの部分は、 嘘です。戯言です。 蕎麦は嫌いかもしれないし、長野で生まれてもいないのかもしれません。また、君と僕が親友で在ると言う言葉さえ、気分や流れで言っているのでしょうねぇ。 そんな僕の空虚さを、子どもは見抜くでしょう。子どもは親の背中を見て育つと言いますよね。親を周囲の人を模倣して、やがて自分というものができるのではないですかねぇ。 そんな子どもに僕のような人間が、見せられますか?自分が空っぽだと言いながら、彼らの瞳に映る自分を見ることが、恐ろしいのですよ。本当に自分が空っぽだと、確信を得るからです。周囲に合わせて、ただただ悲しみ無きように、悲しみ無きように、と繰り返す、どうしようもない存在の軽さ。 そんな僕は、子どもたちに笑えるでしょうか? 病気と闘え、負けるな、精一杯生きろ、などと言えるでしょうか? 死んだらそこで終わりです。自我は消えて、肉体は物体となり何も残りません。魂などという曖昧で、視えない物は存在しません。肉は焼かれ、骨と灰になります。 わずかな骨を墓に納めて、どうするのですか。 そこには、 もう誰もいないじゃないですか。
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