葬儀にて僕、涙を見る

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彼女を初めて見たのは、三カ月前、高校時代の恩師の葬儀での事だった。僕は高校生のときに美術部に入っていた。とは言っても、特段才能や情熱があった訳でなく、部活動をしていれば、少しは進学に有利に働くだろうという姑息な考えからであった。 美術部を選らんだのも、運動部で尊敬も出来ない先輩達から、云われも無く小突かれていた歳の離れた兄の卑屈な笑みを見て、自分はああなるまい、文系の部活動ならば何が何でも上を立てよと言わんばかりの上下関係はあるまいという思いと、他にくらべて絵を描くことは(端にも棒にも引っかからない無才な僕ではあるが)少なくとも嫌いではなかったからである。 あのとき、体育系の部活をしていれば、僕も兄と同じく、卑屈な笑みで三年間を過ごしていたであろう。残念なことに、僕たち兄弟は見た目もいざという時に、腰砕けになる惰弱さも、嫌になるほど似ていたのだから。 そんな訳で僕は三年間、これと言った成果を上げるでもなく適当に絵を描き、適当に友人たちと遊び、歌詞の意味もよく解らないながら洋楽を聴いては、ヘタクソなギターを掻き鳴らし、周囲の不況もどこ吹く風で過ごしたのだ。その後、美術関係の専門学校に滑りこみ、今では地方の私設の美術館に勤めている。 話しを恩師の葬儀に戻そう。先生は美術部の顧問で、丸い鼻が酒でも飲んだようにテカテカと赤かったので赤鼻とかトナカイとか呼ばれていた。 大学時代は美術史を専攻していたそうで、芸術家にはなれなかったがその知識の豊富さと雄弁な語り口には、引き込まれるものがあった。
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