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当時で定年間近の白髪頭だったので、卒業10年後の訃報にもさして驚きはなかった。キレの良いタンゴにあわせて、三人の坊主が煌びやかな袈裟に身を包み、経を唱え始める。
トナカイ先生の遺影は、どうやら僕たちの美術部顧問の頃の写真のようで、僕の記憶と変わらぬ自信に溢れたからりとした笑い顏だった。葬儀場には爽やかな花の香りが満ちていて、遺影は七色の照明で眩いばかりにライトアッされている。抹香臭くもなければ、しめやかでもない。南洋を思わせるカラフルな花々が、祭壇を飾っていた。
陽気な銅鑼の音に、アップテンポな木魚のビート、お経は何処となくラップ調で坊主トリオはノリノリだった。 遺族も弔問客も口元に小さく笑みを浮かべて、瞑目するものや、足を踏み鳴らす人もいた。
これが近年の葬儀の形で、まぁ、今回は年輩者の葬儀でもあり、彼等が馴染んだ形式に近い葬儀を模している。僕たち若い世代の葬儀であれば、喪服よりもアロハシャツや派手派手しい色合いのスーツ姿の一群が、ギターやベースを掻き鳴らしドラムを打つ坊主を先頭に、パレードすることもあった。
ときにはダンサーまで加わり、さながらリオのカーニバルのような、天地をひっくり返さんばかりの騒ぎに発展する。そうなるともう、町をあげてのお祭り騒ぎである。僕が幼い頃、両親が事故で死んだときも親類縁者、両親の知人、友人、果ては道行く人達まで加わり、最後には打ち上げ花火が冬空高く、夏の花火よりも甲高い音を響かせて花咲いた事を覚えている。
僕を引き取って育ててくれた爺ちゃんは、得意の阿波踊りで
「生きるワシラに、死ぬヤツら、生きているなら、踊りゃにゃ、損、損!
ほれ、お前らも阿呆にならんか!
それ、それ、それ、それ!」
そう言いたてて、僕と兄の背中を押してせきたてた。その手の感触を、ボンヤリと思い出すことが今でもあった。
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