かわずの寝床

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ちなみに店の入り口には小槌に福袋を担ぎ、赤い頭巾で草鞋を履いた恰幅の良い陶製の蛙が、客を歓送迎してくれる。なんとも言えない愛嬌が滲み出している。いわゆる七福神の大黒天の格好である。僕はかわずのえべっさんと呼んでいる。商売繁盛の福の神に、僕はいつもかわずの寝床の安泰を祈っているのだった。 今日はどうやら、僕達の貸し切りのようだ。時折、子供連れが来ると、かわずのえべっさんの腹を撫で回したり、ぺしぺしと叩いたりするのだが、えべっさんがお怒りにならないかとハラハラしたりする。子供は怖いものしらずである。かわずのえべっさんが店に愛想を尽かさないように、そんなときは念入りに祈りを捧げる僕だった。ついでにお猪口に入れた酒とつまみを一品お供えするのが、習慣になっていた。そんな僕の様子に、おかみさんが苦笑するのだった。 「とりあえず乾杯しますか?」 「…そうだね。」 僕たちはジョッキを打ち合わせた。 我らが恩師に、と僕が言うと、 鵜飼君が、にかっと笑って、 悲しみなきように! と応じた。悲しみなきように、か。それは葬儀の際に遺族に投げかけるられる、決まり文句である。なのに、今日はそんな慰めの言葉が、ひどく空々しく響いた。麦酒ビールは変わらずほろ苦く、美味かった。 僕たちはしばらく、我らが恩師赤鼻のトナカイ先生や高校時代の愚行と栄光を、あれやこれやと話を弾ませて語り合った。そのうち注文した品々が、出来立てホヤホヤで運ばれてきた。 かわずの寝床の料理の中でも、特に美味いのが、揚げ出汁豆腐である。どっしりとしてきつね色の衣をまとった豆腐は、まさに横綱の如き貫禄を持ち、湯気の立つ香しい出汁の風呂に浸かっている。頭に乗っけた大根おろしとネギが、これまた憎い。油と出汁の染みた豆腐のまったりとした味わいを、さらに深める立役者が彼らだ。 「これはたまりませんねぇ。おかみさんは朗らかで楽しいし、料理も美味い。言うことなしに、三つ星ですよ。」 鵜飼君はあれこれと愛想良く、おかみさんやオヤジさんの料理を褒めちぎり、 いやぁ、君は美味い店を探すのだけは、昔から本当に上手いねぇ。嗅覚が鋭い。 そんな褒めているのか、貶しているのか、わからないことを言う。まるで僕が食い意地がはった犬のようじゃないか。まぁ、しかし美味いものに目がなく、学生時代は鵜飼君やあちらで出来た知人と食べ歩きをしていたのは事実ではあるが。
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