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陽はしばらく何も答えずじっとしていたが、ふいに暗い空を見上げながら立ち上がった。
「雪だ」
坂木も上を見上げた。
この時期独特のぼたん雪だった。
大きな羽毛のような白いかたまりがひらひらと空から舞い落ちてくる。
それはとても幻想的な光景だった。
そっとすくうようにかざした陽の手のひらの中で、白い羽根がフッと消えていく。
「どうりで寒いはずだね。 帰ろうか、坂木さん」
いつもと変わらない、青年の優しい声だった。
「……あぁ、そうだな」
来た道を、並んで歩き出す。
「今夜、もうここを出るんでしょ?」
「あぁ、そうだな」
「雪、積もりそうだね」
「あぁ、そうだな」
「ぼくねぇ、坂木さん」
「あぁ」
「逃げ出したいと思った事、ないから」
「あぁ…………あ?」
坂木は足を止めて陽の方を見た。
少し遅れて立ち止まった陽は振り向いて柔らかく笑った。
「ずっとこの旅を続けようと思ってる」
「……そうか」
「ふたりで」
「……おお」
込み上げてくるもので坂木の声が詰まる。
「ずっとだから」
「……おお」
「あ、でも二人じゃないね」
「……んぁ?」
陽は女の子にもらったテディベアを顔の横にかざしてイタズラっぽく笑った。
坂木も思わず大声で笑った。
「厄介なもん貰ったなぁ、おまえ! どうすんだよ、それ」
「そんなこと言うなって」
子供のようにぬいぐるみを抱えて笑う陽を、坂木は少し涙目になりながら包み込むような笑顔で見つめた。
時があの日に戻り、神が再び決断を迫ったとしても、自分は同じ事をするのかもしれない。
いや、きっとするのだろう。
消えることのない葛藤と罪。
全てをこの身に抱いて生きていこう。
もしもこいつに罪があるのだと神が言うなら、その罪も罰も全部この身に引き受ける
だから見逃してほしいと思った。こいつと生きていくことを。
坂木は息が止まるくらい冷たい空気を胸に吸い込むと、ゆっくりと空を仰いだ。
空からは天使の羽根のような雪が音もなく地上に舞い落ちる。
せめて今夜には、この世の中の汚れたモノをすべて覆い隠すほど、降り積もってほしいなどと、ガラにもなく思った。
―――坂木さん。
優し気に自分を呼ぶ声がする。
青年がくれたマフラーをぎゅっと握ると、坂木はゆっくり歩き出した。
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