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朝が来た。カーテンの隙間から漏れる光を浴び、薄目を開ける結。また今日も一日が始める。重い気持ちがじわりじわりと身体に染み込んでくるのがわかった。それでも時は待ってくれない。結はベッドからのそりと起き、一階のリビングに向かった。そこでは母親の香が、朝食の準備をしていた。パンの焼けるにおいが食欲を刺激する。どんな気分でも、おなかは減るのだから不思議である。
「おはよう」
「おはよう」
優しい笑顔を浮かべる母。結はその笑顔が少し苦手であった。母の笑顔を見ると、心が少しかき乱される。昔に比べればまだましになったものの、あの笑顔の裏に、たくさんの涙や悲しみが隠されているのを知っているからだろう。
結はあいさつを済ませると、そそくさとリビング横の和室に移動した。そこには小さいながらも立派な仏壇があった。そこに毎朝手を合わせるのが、結の日課である。仏壇の前にはお供え物のほかに遺影が飾ってある。結と同じぐらいの年の、よく似た少女の姿がそこにはあった。
「おはよう、お姉ちゃん」
返事が返ってくることは無いが、それでも結は手を合わせ固く目をつぶる。瞼の裏に写るのは、優しい姉の笑顔だった。八歳年上の年の離れた姉。それゆえに、結のことを本当に可愛がってくれた。だから姉との思い出は楽しいものでいっぱいだった。そんな優しい姉の未来を奪ったのは……
結は涙が出そうになるのを感じた。鼻の奥がツンとする。もう八年も経っているのに、いやまだ八年なのか。きっと、この悲しみを忘れることは無いのだろう。結は深呼吸して、気持ちを落ち着かせる。母に悟られるのは嫌だった。再びリビングに戻り、用意してくれた朝食を食べた。
「行ってきます」
「いってらっしゃい」
母の声に見送られ、結は学校へと向かった。姉を想い悲しくなった日は、早めに家を出ることにしている。外の空気を吸い、気持ちを奮い立たせるためだ。
そしていつもの通学路。住宅街の中を歩き、まずは大通りを目指す。学校は大通りを挟んで向こう側にあるからだ。朝が早いこともあり、まだほかの生徒の姿があまりない。時折部活の朝練に向かう生徒がいるだけで、まだ町が目覚めていないように感じられる。相変わらずの曇り空だったが、結にとってこの静寂は心地よかった。
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