東森正史

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 雨が止み、天は自身の家へと帰った。僕はこの日の為に寝かせておいた酒を取り出す。そして小屋の窓のすぐ側に椅子を置いて座り、杯に酒を注いだ。  すると酒を注いだ杯の中に、一点の曇りも無く、妖しく輝く月が浮かぶのだ。その月の浮かぶ酒を飲むことにより、月の持つ魔力を自身の力に取り込むことが出来るとされている。これが古くより天狗や鬼に伝わる本来の月見、正しくは「ツキノミ」のあり方である。  このツキノミは春、つまり年の初めに天狗と鬼があらゆる妖怪を招いて行うことにより、妖怪の更なる繁栄を願う一種の儀式なのだ。  ただし月の魔力は余りに強大であり、生半可な妖怪では月の力に呑まれてしまうことさえある。月の力に呑まれた者は自制心を失い、最悪その身を滅ぼすことになる。  その為、強大な力を持たない妖怪は一杯のみ、酒を交わすことを許される。余った酒は月の力に呑まれない妖怪、つまり天狗や鬼に振る舞うしきたりとなっている。  だがこの儀式、最近では全くと言って良い程行われておらず、挙句の果てには秋という半端な季節に、人間が真似事をしている始末。人間は餅で月を象った団子を作り、それを食らうことで月の力を得ようとしているようだが、その行為は何の意味も持たない。  大切なのは月本体であり、月に見立てた器ではないのだ。人間は形ばかり追いかけて中身を追求することはしない。だから人は愚かなのだろう。
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