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片恋
――カラン、カランッ
真鍮製のドアチャイムが、澄んだ音色を店内に響かせる。
「こんにちは。今日のお勧めは、何?」
その余韻の中、お決まりの問いかけを届けてくる甘い低音に、すぐに作業の手を止める。
「先輩、いらっしゃい」
厨房から顔だけを出して声をかければ、涼やかな笑みをたたえた人がこちらに片手を上げてくれた。
その人物は、毎週、金曜日。計ったかのように同じ時刻に現れる。
「今日のお勧めは、ガトーショコラです。先輩、お好きですよね? 優里ちゃん、ガトーショコラ3つ、包んで差し上げて」
「はい、わかりましたっ」
今月から新規採用した学生バイト、十束優里ちゃんの明るい笑顔がカウンター内で弾けた。
アルバイトをするのは初めてだという優里ちゃんの手つきは、まだ少しぎこちない。
けれど、不慣れながらも丁寧な作業をする優里ちゃんを静かに見守るその人は、ただ穏やかで。厨房に戻った俺も、その姿をひそかに眺めている。
売り場との間を隔てるガラス窓越しにそっと眺めるその人の立ち姿は、姿勢も良く、すらりと凛々しい。
丁寧にセットされた黒髪と、同色の瞳。切れ長の目元は、黒縁眼鏡によって更にシャープな印象に。
細めのウェリントンフレームが、ことの外、良く似合っている。
広い肩幅にぴたりと合うダークネイビーのスーツには、しわひとつ見られない。
その黒髪が風に攫われれば、ふわりと軽く靡き、眼鏡が映える端整な顔立ちを更にくっきりと見せてくれることを俺は知っているし。
その髪が、水に濡れて通った鼻筋に雫を垂らせば、凛々しさが危険な色っぽさに変わることも、もちろん知っている。
ずっと見てたから。
ずっと、ずっと。本当に、ずっと。
この人だけを俺は見つめ、想い続けてきたから――。
中学の先輩、千葉啓史。
先輩が、毎週欠かさず俺の店に通ってくれるのは、この人が無類の甘いもの好きだから。
そして、それを知っている俺が『毎週金曜日はサービスデーなんです。だから、お得なケーキを買いにきてください』と、売上協力のお願いをしたから。
それから、もうひとつ――。
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