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「――なぁ、真南?」
ブラインドから射し込む午後の陽射しは、冬特有の柔さ。
その光を受けた静かな空間は、スポーツクラブの最上階。千葉先輩のプライベートルームだ。
「真南? まーな!」
結局、誰もシャワー室には入ってこなかったものの、いつ人が来るかわからない恐怖の中、さんざん喘がされ、二度も達してしまった。
そのせいで、ちょっと機嫌を損ね、膨れた俺を必死で宥める先輩はとても可愛かった。
俺が少しツンとしただけで、黒縁眼鏡の上で眉が情けなく下がっていくのが見えるんだ。
あの切れ長の鋭い瞳はどこ行った、状態だ。
「機嫌、まだ直らない? そんなに怒るなよ」
可愛い。すごく可愛い。
「なんですか?」
それで、俺の機嫌が完全に戻っていることに気づいてない先輩が、ソファーにもたれながら俺を腕に囲って『もう怒るな』と頬ずりしたり、軽くキスしたり。そんな、むず痒いほどに甘いひと時を過ごしてる。
「もう怒ってませんよ。何か、お話ですか?」
「お前、『聖なる食物』のこと、知ってるか?」
ひたすらに甘く俺を宥めていた人からの、唐突な問いかけ。
それは、いったん懐に囲った相手はとことん甘やかすし、尚且つ情熱的という千葉先輩の一面に、ふわふわと面映ゆい心地になっていた俺を少なからず驚かせた。
「『マナ』のことでしょう? えぇ、もちろん知ってますが、先輩もご存知だったんですね」
聖なる食物・マナ。自分の名前と同じ音を持つ言葉だ。当然、知っている。でも、ここで先輩の口からそのワードが出てくるとは……。
マナは、旧約聖書「出エジプト記」第十六章に登場する食物で。イスラエルの民がシンの荒野で飢えた時に、モーセの祈りに応じて神が天から降らせたという、別名『天からの賜りもの』。
それは液体であり、固形物であり、芳醇な香りの甘露でもある。
「お前はさ。俺の『マナ』なんだよ」
「……え?」
「真南の作るスイーツが、一番、俺の口に合う。というか、もうお前のケーキしか食えない」
「先輩……」
「今思えば、たぶん中学の頃から、もう刷り込まれてたんだろうな」
「刷り込み、ですか?」
「自覚なかっただろうけどさ。中学の頃のお前、小さくてぷくぷくしてて、ぱっちりと大きな目が印象的でさ。めちゃ可愛かったんだぞ? そんなお前が、俺にケーキを差し出してくる時の表情が、どんな時よりも愛らしくてドキドキしてた。あれは、マジでやばかった。相当なもんだったんだよ」
「嘘、だ」
「嘘じゃない。うっかりバレンタインにお前からのチョコを期待して、一日中ソワソワと待ってたら何にも貰えないまま放課後になってガッカリ! ってことが二年連続であったしな」
「マジ、ですか」
「マジ。大マジだ。まぁ、あの時は気の迷いだと思って流せたけど、今は無理だ。もうガッツリしっかりと、お前にハマってるからな。どこにも行かせないし、誰にもやらない」
背後からの抱きしめる力が、強まった。
「こんな風に、甘い匂い垂れ流して誘うし。危なすぎて目が離せない」
すん、と耳元の匂いを嗅がれる。
「ちょっ! それ、やめてくださいよ」
体臭を嗅ぐとか、やめてほしい。何の羞恥プレイ?
「嫌がるなよ。お前、自分の身体が甘い匂い放ってるって気づいてないのか? でも、わかった。じゃあ、こっちにする」
「え、甘いって何……ふぁっ……あ、ん」
耳朶が、柔く食まれた。「もう拒絶するな」という囁きとともに。
そんなこと言わなくても、本気で拒絶なんかしないのに。
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