砥石崩れ

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 村上義清が手勢2000を引き連れて現れた。  風林火山の旗を割り、信玄の元へと肉薄した丸に上の旗。信玄の目からも義清の顔が見えるようになり、さすがの虎も焦った。  義清の白刃が信玄まで60間と迫った時、その間に横田高松が割って入った。 「大将、ここはこの高松に任せて、お早く!」  その叫びを聞き、信玄は馬を走らせた。  高松なら、横田高松なら、あの場を凌いでどうにかしてくれる。信頼を根拠とする安心が信玄の心を占める。  それから数刻して自領へと戻った信玄は、腰を落ち着けると、周りに誰もいないことを確認した。そして兜を外し、思い切り地面へと叩きつけた。 「クソッ」  兜はひしゃげたが、敗戦の悔しさは微塵も晴れなかった。また負けた。また村上義清に負けた。  信玄はそれからゆっくりと息を吐き出し、重い甲冑に凝り始めた体を少しほぐす。早く甲冑を解きたかったが、未だなお応戦しているであろう高松のことを考えると、奴が帰ってくるまでは外せないなと思った。  緊張が抜けないまま一晩経った。高松の手勢が三々五々帰ってき始めたが、肝心の高松自身は未だ帰ってこなかった。 「いやぁ、今回はキツい戦でしたな」などと言って豪快に笑う高松が早く見たかった。  その時、僅かに外が騒がしくなった。そして、信玄は外から声を掛けられた。 「信玄殿」  高松かとも思ったが声が違う。信玄は外へ出てその声の主を見ると、高松の近侍だった。  敗戦から殿を務めて逃げ帰ったその体は泥に塗れて、傷も幾つか見受けられた。 「どうした」  信玄がそう尋ねると、その近侍は震えた声で言った。 「殿は、横田高松様は……、討死いたしました」 「バカな……」  信玄は呆然とした。あの高松が?討死?予想だにしてないことであった。 「そんな……、バカな……」  近侍が死に様を語っているが、そんなものは耳にも入らず、信玄はそう呟き続けた。  これが後の世に言う「砥石崩れ」である。  その日、甲斐の武田信玄らは1000人もの兵と、横田高松を失った。
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