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夜をこえて
没落する邸の中庭は淋しく手入れが行き届き、退廃が恋に耽美を添えて、ふたり、めまいのように寄り添いあった。
人目をはばかる宵の逢瀬を月が数える。やがて満つる。
やがて尽くる。
「…よしてくれ、もう──」
ぎり、と……奥歯を噛みしめるようだった。おまえはもう、私を見ようともしなかった。
掴んだ腕を離せばこれぎり、終わるのか。いやすでに。
終わってしまったのか。
「離してもいいのか」
この手を。おまえ自身を。
雨雲が堪えかねて、邸はしっとりと夜気を帯びはじめる。
感傷はいらない。私は退かない。
靴底に石畳が鳴る。
ひゅっと息を呑む声が、耳に障る。
私が一歩踏み出せば、おまえは恐ろしげに爪先を睨み、後退さる。
とうとう外壁に背を奪われ、色もなく歪む、その唇。
「……デューン、もう…」
「いいのか、おまえは、それで」
「…もう。…何もかも」
「いいのか」
「よせ──…」
口付けを避けて身を捩る。
頬に添えた私の手を、…おまえは払い、視線を遮るように額を押さえた。
いつの間にか痩せてしまったその頬が、濡れている。
雨が降り始めた。
田舎の世襲を継いだ邸は、伯爵位といえども早晩いずれ傾くだろう。
世間は途絶え、財産は底をつく。それなのに。
何に捕らわれて、おまえはその泥濘に沈もうというのか。
「……結局僕は、家を捨てられない。父を、母を、妹を。君にはわかるまい、デューン」
泣くほどに、捕らわれて。
それでもおまえは、私を捨てるというのか。
「君のように誇ることもできないし、この血を抜いて入れ替えることもできない。それに」
──…それに……。
「それに、ああ、…わかるまいね、デューン。僕を恨んでくれ……」
雨粒がしとしとと、石畳に染み入り、中庭の草葉を打つ。
土の香りが湿った夜気とともに、霧のようにいよいよ立ちこめてくる。
鬱蒼と肌に触っては、拭いきれないしがらみを思わせ、重々しく積もる。
やがて重さに堪えかねて沈むだろう。仄暗い常闇の底へ、私はまた、ひとり。
──…恨め、と。
最後にそっと笑ったおまえを捕らえて生き血を啜れば何かから、開放されたろうか。
誇るはずはない。入れ替えることもできない。ただ在り続けるだけ。
しがらみと言ったのは、誰の、何、だったか──。
気づいてはいけない。
見つめてしまってはいけない。
暗闇の向こう、恐ろしく光る鋭利な何か。
だから。
また旅へ出る。遠く。
あのそぼ濡れた邸、淡く過去となり果てたその先へ。
幾千の夜を越えて。
了
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