第一章 - 好きになったのは人妻二児の母

8/16
12人が本棚に入れています
本棚に追加
/59ページ
 友人関係とは気が合う、合わないで境界線が引かれていると思う。  ある場合を除いては。  小さい頃、友人と言えば一緒にいる子の事を指したと思う。  幼稚園の頃スカート捲りをしてきた男の子に、泣かされた。止めてと言った。嫌いと言った。でもずっと傍にいたと思う。  心がシンプルだった。笑うか泣くかの二つしか知らなかったのに、様々な感情を表現し、名前を知り、意味を悟り、その感情を知る。理由に行きつく。  そうして人は外見以上に自分と言うもの。個性を成長させる。世界で唯一の自分になる。と私は思っている。    心が成長し、知らず知らずのうちに駆け引きをする。打算的な付き合いが増えていく。友人と一口に言っても様々な形容をしている。  ただ一緒にいたい。それが入口であり、真髄である。が、しかし、その想いは成長するにあたり沢山の感情に埋もれ見えなくなり忘れていく。  友人達は、私に沢山の感情を一緒にいたい。と、思った分だけ注いでくれた。  誰もが好意を持たない相手と時間を共有するのは避けたいことだ。  好きでもない相手は一緒にいなければいいと思う。  それでも、付き合わなければならない相手と言うのは存在する。  私にとってそれを教えてくれたのは、ママ友と呼ばれる存在だった。  気が合わない。性格が合わない。生理的に受け付けない。それでも、娘の友達は娘にとって大事な存在だ。  私の都合で子供に我慢を強いたくないと思うことは必然だと思う。  子供の為と念じれば、どんなことでも頑張れる。それが母親だと思うから。  所詮、数年の期間限定の友人契約。歪な友人関係だからこそ、波風を立てず当たり障りのない時間を共有する。  それは、近所付合いの予行練習だったのかもしれない。
/59ページ

最初のコメントを投稿しよう!