第2章 サングリア

4/10
前へ
/234ページ
次へ
 前島秀蔵の建築設計事務所は、車で三十分ほど離れた住宅街の一角にある。 電車を乗り継いで行ったのは、中学生の時だったな。  高校になると、この近くを通りたいが為に遠回りしたっけ。そのとき以来だ。  トネリコの木をシンボルツリーとして、ネムノキや、蔦を始めとした緑をいっぱい壁に這わせた、コンクリートの四階建てのビルだ。 窓ガラスから、内装が少しばかり伺える。 きっとハンマー・ミラーや、バング・オルフセン、イームズ、アアルト、ゲーリーといった、デザイナーズチェアだらけなんだろう。 想像だけど。 「どうぞ」 「お、お邪魔いたします!」 父さんの遺影を持ってるカンジ。    玄関には銅板で「前島秀蔵建築設計事務所」、そしてアルファベットで「march」と彫り込んである。 「おおお! マーチ! …って俺は勝手に呼んでます! ホンモノだ!」 「ふふふ…まあ、父の事務所だってわかれば、なんでもいいらしいです」 モダンクラシックな、重厚な扉を開くと、ピカピカの大理石の玄関。 長い廊下の壁面には、設計図が額装されて綺麗にディスプレイされている。 行ってみたくてたまらない美術館だったり、かのホテルだったり!わ、あの空港のだ…!  興奮を抑えきれず、ニヤついていると 「あぁ、ようこそ!」 恰幅の良い上品な、マオカラーを着こなした紳士が出迎えてくれた。 う、うわあ!  ナマ・前島秀蔵!シュウゾウ・マエシマ! 「息子が、大変にお世話になっております。前島です」 老眼鏡を外しながら、握手を求めてきた。 ピッキピキに直立不動になり、深々とお辞儀した。 「お…お、お目にかかれて光栄です! 息子さんに、大変にお世話になっております、藤村、と申します!」 巨匠のゴツゴツした指にふわりと包まれる。 もう俺は、死ぬまで手を洗わないぞ! 写真より、ずっとずっとずーっと、ダンディでかっこいい!  そしておずおずと、「新建築」の前島秀蔵特集を、カバンから差し出す。 「忘れないうちに…あの、可能でしたら、サイン頂けますか…」 「はっはっはっは! 先生面白いね! そういうの、久しぶりだよ! 喜んで!」 豪快に笑う秀蔵先生の横で微笑む前島先生。   その後、事務所内を秀蔵先生自らのご案内で、直接レクチャーして頂く。 これを幸福と呼ばずして、何というのか! 父さん、俺はやったよ!
/234ページ

最初のコメントを投稿しよう!

228人が本棚に入れています
本棚に追加