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それももう底を尽いた。
真っ白の世界の中、手探りで目印にしていた大きな木に出会った。
数日前、その木の枝に麻紐をくくり付けていた。
「首なんか吊らなくてもこのまま死んじゃうんじゃないかな」
感覚が無くなった紫色の唇がいびつに笑った。
帰ろうにも真っ白で方向が分からなかった。
もたもたしていると身体が凍えてしまう、最後の力を振り絞って
真理は準備に取り掛かった。
雪に埋もれている足台を取り出してその上に乗った。
両手を上に伸ばすと紐が手に当たった。紐が雪で凍っていた。
一瞬真理は紐を首に掛けるのをためらったが、
目をつぶって首に掛けた。
「太郎君、先に行って待ってるからね、ごめんね」
溢れる涙を嫌がるように真理は足台を蹴った。
首に掛かった紐がピンと張って真理の体重を支えた瞬間、
真理はカッと目を見開いて前方の熊笹の茂みを見た。
「あっ、白神様だ!」
茂みから黄色く光る鋭い目が真理を見詰めていた。
巨大な真っ白い狼だった。
狼は真理を見詰めて小さな声でクウーと鳴いた。
時は流れて平成の時代。
日本は幾多の危機を乗り越えて経済大国になった。
先進国の仲間にもなった。
実際、日本全国全ての人が恩恵を受け、豊かな生活になり開発が進み、
自然も破壊されたが、かつて真理が懸命に生きたこの地方は
以前と変わらなかった。
一時期、経済成長が著しい時代、村の人口が増え山を切り開き
工場や住宅を建設する構想もあったが、
それも自然消滅した。
経済の成長が止まり開発の手が途絶えた。
村は過疎化した。
若い娘が一人小高い山を登っていた。
この村の娘、水谷千春17歳、地元の高校三年生だった。
どんな時代になっても人は悩み、苦しみながら生きていく、
生きる力と悩みや苦しみの絶妙なバランスの中で
生きているのだが、少しでもバランスが狂うと絶望し、
死に急ぐ者が出てくる。
それはどんな理由でもよかった。
実際、現代社会の自殺者の数は昔に比べて遥かに多い。
水谷千春もその一人だった。
自分は死ぬしかないと思うとそれ以外は考えられなかった。
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