花巻へ

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 バスから、ボロボロと人がこぼれていく。花巻駅は平日の朝にも関わらず、人はまばらだった。食欲はなかったが、朝食の取れそうな場所を探してみる。  草の匂いに惹かれ、住宅街へ迷い込んだ。小さな用水路は、ささやかで美しい。高い柵もない。絶えず流れているところをみると、本当は川なのかもしれない。誰も歩いてはいなかった。生活の音だけが、コトコト耳へと届いた。  家に居たって一人なのに、わざわざ遠くまでまた一人で出かけている。踏んだ土の感触や確かめ、濃い緑が揺れるのを眺めている。以前ラジオのインタビューで世界中を一人で旅している女性が、寂しくはないのかという質問にこう答えていた。 「みんなで旅行すると、例えば綺麗な花が咲いていた時に『花が綺麗だね』と言いあって終わってしまう。一人だと言いあう相手がいないからこそ、その花の美しさを存分に味わえる。寂しさも、『この美しさを誰かに見せたい』と思う心も、旅の印象として強く残る」  今、私が見ているものは、私一人のものだ。本当は旅に出なくても同じだって分かってる。  めり込んでゆく注射器の針先、採卵手術する部屋のクリーム色の壁、吐き気と痛みと喉の渇き。同じ経験をしている人が沢山いる。だけど、その時を生きているのは確かに一人きりだ。    結局、食事をとれる場所は見つからなかった。
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