第一章

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「行かないで、コウ」  無垢な眼差しが悲しみに揺れる。それを振り切るようにして踵を返した。いつまでも名前を呼ぶ悲痛な声が、耳に残っている。 「和人……」  幸一は電車に揺られながら微睡んでいたが、自分が小さく呟いた声で目を覚ました。ふと目に入った駅の名前がすでに目的地のもので、ドアが閉まる直前に慌てて飛び出した。周囲の人に驚かれて、気まずい思いをする。  何か足りないものはないか聞こうと思い、改札を通ってから母親の携帯に電話をした。 「今駅着いたよ。もう和人の家いんの? 何か買って行くものある?」 「お疲れ様。和人君のお家よ。お父さんももう来てるわ。そうねえ……あ、ビール買ってきてもらおうかな。あと和人君のためにジュースも」 「了解。和人に何がいいか聞いて?」  母親は少し離れたところにいるらしい和人に呼びかけている。 「和人君、何か飲みたいものある? 幸一が来る時に買ってきてくれるって。今駅着いたみたい」 「じゃあ、俺迎えに行きますよ。一人じゃ重いだろうし。駅前のスーパーで落ち合おうって言ってください」 「……聞こえてるから大丈夫。了解。じゃあ後で」  ──今の。今の和人か。声が、低くなっている。  八歳年下の幼馴染みの和人に最後に会ったのは、幸一が就職した年、和人が中学二年の春だった。今は、高校二年生になっているはず。小さい頃から美少年で近所でも評判だったから、今はさぞイケメンになっているだろうと想像する。自分より背が高くなっていたりしたら嫌だなと、幸一は母と和人のやりとりを聞きながら思った。昔から母親同士の仲が良く家族ぐるみの付き合いをしていて、和人が物心つく前から、幸一がおもりをしていたのだから。
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