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台所の整理を妻に任せて、とりあえず家を出るまで自室だった部屋から手を付ける。
今の家に持っていくもの、処分するもの・・・。
より分けながら、いろんな思い出が胸を埋め尽くしていく。
不意に滲みだす涙を堪えながら、敢えて感情に蓋をしながら作業を続けた。
夕方、台所を片付けてくれた妻と一緒に帰宅する。
「うちで使いたい食器とか、持ってきたわ」
後部座席の大きな紙袋に目を遣る。
ノートはその紙袋に一緒に入っていたのだろう。
ひとつひとつのレシピを見ながら、母の笑顔を思い出す。
「ごはん、できたよ」
妻の呼びかけに、ハッとした。
すでに料理はテーブルに並べられていた。
その中の一点に、目が釘付けになる。
ミルクスープが入っているスープカップは、いつものカップじゃない。
金の淵取りが少し剥げて、年季の入った陶器のカップ。
「このカップ・・・」
「昨日、持ち帰ったの。お母さん、いつもこのカップでスープを出してくれたでしょう?」
もう一度、母の笑顔を思い出す。
今朝の夢を思い出す。
“おかえり”
この声を聴いたあの場所は、もうすぐ無くなってしまう。
肩を震わせた背中に、妻の手のひらが優しくすべる。
「実家は無くなってしまうけど、思い出は一緒に守っていこうね」
柔らかな声色を聴きながら、ミルクスープを口に運ぶ。
懐かしい味が、口いっぱいに広がって、
俺の視界が、大きく歪んだ。
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