許されぬ恋

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そして、上着を脱ぐと彼女の華奢な肩に掛けた。 たまたまガラスの破片で手の甲が少し切れただけのものだ。 「このままだと傷が膿んでしまうかもしれないわ。気休めだけど、これで」 彼女の白いハンカチーフを取り出し傷口を軽く縛った。 「手間掛けさせたな」 「いいえ、こちらこそ危ないところを助けていただいたわ。本当にありがとう」 「俺は何もしてない」 「ううん。あなたはわたしを守ってくれた。あの、あなたのお名前は?」 「…俺は―――」 名乗るほどの名を持ってない。 持ってるのは誰をも怖れさせる名だけ。 「若宮さま!」 ハッとして呼び名に振り返ると、親父の代から仕えている一ノ瀬が慌てたように青い顔して現れた。 耳元で囁かれた震える言葉に戦慄した。 すぐにでも屋敷に帰らねばならない。 「急用ができたので、これで失礼する」 挨拶をそこそこに立ち上がる。 ここからは誰にも踏み込ませられない領域だ。 俺たちの世界。 「あの、…お借りした上着」 「ゴミ箱にでも棄てて置いてくれ」 そう告げて歩き出す。 今は自分のすべきことがある。 「いえ、必ずお返しいたしますから」 彼女の声が背に柔らかく響いた。 そんな彼女に婚約者が駆け寄っていくのとすれ違った。 「……若宮さま」 「行くぞ、一ノ瀬」 はい、と、頭を下げる一ノ瀬。 これから当分忙しくなるだろう。 おそらく、もう二度と出会うことはない。 今夜は父の名代でたまたま出会っただけの美しい花。 ふわり、ほのかな花の香りが移ったシャツに、抱き締めた名残りがある。 「…花か」 淡い桜色のドレスを着た妖精。 もう二度と会うこともない―――可憐な花の 記憶の中に彼女の姿を閉じ込めると、瞼を閉じた―――
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