1人が本棚に入れています
本棚に追加
「あのおじいちゃんどこをテストに出すって言ってた? 私、授業ほとんど聞いてなくてさ」
声をかけてきたのは美香の前の席に座る女子生徒だった。名前は……橘だったっけ? と美香はうろ覚えの記憶を探った。
橘は体を反転させ、美香の机の上に数学の教科書を広げている。広げられた教科書は新品のように綺麗で持ち主の性格をあらわしているようだった。
もちろん、扱いが丁寧なのではなくて彼女は教科書をほとんど開かない性格だろうということをだが。
「えっと、この公式です。きちんと証明もできるようにしておいた方がいいと思います」
美香は教師が先ほど授業の大半を使って証明した、たった一行の公式を指さした。
「ここの公式ね。ありがと、これだけ覚えておけばなんとか赤点は脱出できるよね」
目立つ色の蛍光ペンでこれでもかというくらいでかでかと印をつけながら橘が言った。
数学の授業の大半を睡眠時間に充てている彼女が赤点を脱出するのはなんとも腑に落ちない話である。
「そうですね。きっと、大丈夫だと思います」
蚊の鳴くような声で返事をして美香は再び帰宅の準備を始める。
開け放たれた窓の外から吹き込んだそよ風が、美香のロングヘアをはらりと散らす。
その美しさは深窓の文学少女さながらだった。
最初のコメントを投稿しよう!