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「夏は冷やしたお茶をパン工場の家族の方に飲んで貰うんですが、でも残念ながら誰も刻印は出ませんでした」
「そのお茶を勝手にウチの母が飲んだんですね」
母ならやりかねないと思うのは、よく食事の時に飲みかけの麦茶を取られているからだ。
「具合が悪くなる人は殆ど居ません、多く飲んでも刻印の数は変わりませんし、汗が出て喉が乾く程度です」
「母はお経のような文字が腕に出て、首筋にもありました、でも……」
以前母がパン工場でバイト経験があるのを言おうか迷い口ごもったが、例のお茶を飲んでいたら刻印が出た筈だ。
でもそれを言うと母を巻き込みそうで躊躇っていると、続きは田村さんが言い始めた。
「パン工場でバイト経験があるそうですね」
「ーーえっ?」
「木村さんにそう話をしたらしいです」
『あのドラム缶、ペラペラと余計な事を!』
黙っている意味がなくなったので、疑問に思っていた事を質問する事にした。
「以前に出なかったのはどういう事でしょうか?」
「恐らくお茶が普通だったか飲んでいないかのどちらかでしょうね、その時に出ていたら百合さん達みたいにスカウトしてる筈です」
才能があっても刻印を見つけてもらえなかったら、イザリ屋にはなれないと以前も田村さんは言っていた。
社長からも農業の家系はイザリ屋の能力が高い人が多いと聞いた事があるが、普通に生活しても刻印は出ず、あのお茶を飲むしか方法はない。
浮き上がるとここで消してもらうしかないが、私達は仕事の依頼を受け、そのままの状態で現在に至る。
「心配しなくても、今更お母さんをイザリ屋にスカウトする事はありません、恐らく刻印を確認する程度でしょう」
「具合は良くなりますか?」
「すぐに良くなります、表向きは『お酒に酔って気分が悪くなった』という事で口裏を合わせましょう」
母がこの仕事に引き込まれないのはホッとしたが、帰ってから余計な事は話さないよう注意する必要はありそうだ。
「少し時間がかかると思いますので、バーベキュー会場で楽しんでいて下さい、終わったら呼びに行きます」
もっと田村さんと話したかったが、母が迷惑をかけているので甘える訳にもいかない。
部屋を出てロッカーでTシャツとデニムに着替え、脱いだ浴衣を見ると短い夢の時間が終わった気がした。
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