(一)

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 人形作りを阻むため、蘇芳を犯すという突飛な話を聞かされた時、橡は自分からやると申し出た。それには理由がある。  橡は静かに大路を見た。 「……その代わり、俺との約束を覚えているな……?」  橡の言葉に大路がふいと顔を離す。 「分かっとる。ワッシャが勝てば、お前がこの村から出ることを黙認してやる。大名の城の普請が人手不足やそうや。これからの時期、どこの村も人手は農作業で取られる。やしぃ、城は人集めに苦労しとるちゅうわけや」  そこまで言ってから、今度はぐいと顔を覗き込んでくる。にやりと笑うと、一言一言、粘度のある声音で続けた。 「お前、何がなんでもこの村から出たいんやろ。魂込めなんぞ、もううんざりなんやろ?」 「……」 「お前の一族は、数年前に親父さんが死んで、もうお前しか残っとらん。ここらで、魂込めっちゅう楔から自分を解放したいんやろ? それにはワッシャが勝たんといけん。分かるな? 言っとくが、勝手に村を出るなんて考えるなよ。そん時は、草の根分けても探し出して、ぶち殺す。そがなんは嫌やろ? だからこの村から出たいんやったら、まずはあの蘇芳を犯すんや。ええな」  この村を出る。繰り返し、胸の内で念じていたことだ。  ところがその念は、唐突に頭の中で咲き乱れた季節外れの曼珠沙華にかき消された。毒のある紅い色が、自分の腕に残る傷痕と重なる。やがて、その紅は蘇芳の姿に変じた。  彼の唇の色だった。  社の家を出ると、月明かりの中、自分を追ってくる足音に気付いた。ノノだった。大路の一番下の妹である。  ノノは橡に走り寄ると、全身を投げ出して抱きついてきた。 「今年の魂込め女、ウチになりそうよ」  橡が訊き返す間もない。ノノは顔を輝かせて話し出した。 「伝助さんとこのスエさん、去年と一昨年不作やったやろ、だから今年はウチや。やっと魂込めの女になれる」  伝助の妻であるスエが近年魂込めの女を務めていた。彼女を抱いて人形に魂を込めた数年、豊作が続いたのである。そのため、橡は亡き父の後を継いで魂込めビトになって以来、この十歳以上年上の女を毎年抱いてきた。  が、それが昨年と一昨年は不作続きだったのだ。しかも続く雨不足で、村全体がぴりぴりとしている。今年は魂込めの女を変えると村人たちが噂していたが、どうやらノノに決まったようだ。
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