(一)

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 一木彫りは怖いというのが、蘇芳の正直な感触だった。今の自分では木本来の力を弱めてしまう。蘇芳は自分の作る人形を、上辺だけは美しいが、力がないと自覚していた──  一陣の風が、がたと納戸を揺らした。はっと蘇芳は顔を上げた。慣れない田んぼ仕事から戻った母の気配にも、夕飯だという言葉にも反応らしい反応を見せず没頭するうちに、すっかり日が暮れてしまったらしい。  小さい格子窓から射す月明かりが床に落ちていた。青白い光が分断されている。  家の中の物音に耳をすませた。どうやら母はすでに眠ってしまったようだ。集中が途切れると、急に何もかもが宙ぶらりんに思え、蘇芳はしばし呆然とした。今の今まで作っていた人形たちですら、無意味なものに見える。  ふと蘇芳は橡に連れられて見た沼を思い出した。神秘的な深い色を湛えた水の表面を思い描く。  とたんに、あの色を月光のもとで見たいと思った。そう思うと同時に立ち上がっていた。古びた納戸の戸を、なるべく音を立てないようにしながら開き、外に出る。  月も出ていない晩の闇は、蘇芳にあやかしの舌の上を思わせた。闇そのものが巨大なあやかしで、その舌にすぐにでもくるりと呑み込まれてしまうのだ。  が、今夜は違っていた。満月にほど近い月の光があたりを青白く照らし、輪郭を浮かび上がらせている。蘇芳は沼がある山のほうへ向かって走り出した。  まだ見えぬ水の音が聞こえた気がした。  曖昧な記憶を辿ってけもの道を抜け、沼へと辿り着いた時は心底ほっとした。とはいえ、迷う気はしなかった。なぜなら、ずっと水の匂いを鼻に感じていたからである。  目の前に広がった沼の姿に、蘇芳はしばし見入った。月明かりを反射した水面は、鮮やかな緑色に灰色と青味が混じり、ますます不可思議な表情を湛えていた。人を受け容れない冷たさと、厳かさと……この沼にこそ神がいるのではないか? 蘇芳がそう思った時だ。  水面の中央が盛り上がった。神。いや。蛇? 先日聞かされた橡の話が頭をよぎる。蘇芳は立ちすくんだ。  そんな彼の目の前で、水面はさらに盛り上がり、やがて中から一人の人物が現れた。  橡だ。  蘇芳は息を呑んで現れた彼の背中を見た。沼は立ち上がれば腰のあたりまでしか深さがない。その沼の中を橡がゆっくりと歩き、対岸へと向かう。
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