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この唄は嫌いです。私の住む村に昔から伝わる唄。だって怖いのですもの。
一番の歌詞は、花嫁の期待や恥じらいを、着飾らせた花嫁人形に見立てて謡ったように聞こえます。ささやかな幸福が待っているかのようでしょう。
けれど。だからこそ、二番の歌詞の瞑さが底知れぬものに感じられるの。一番の鮮やかな色彩に比べて、二番の歌詞の寒々しい感じはなんなのかしら。あるのは不気味さと悲しさだけ。
それにね、私が特に嫌いなのは最後の部分。
『うめてもどしてあめやまぬ』
どうかしら。物悲しい上に、恐ろしさまで感じませんこと。しかも『雨止まぬ』。なぜここに雨という言葉が出てくるのか、不可解な唐突さがこの唄をより気味の悪いものにしていると思うの。
でもね。今の私は、この唄に少し感謝しております。なぜならこの唄が、私をあの方に引き合わせてくれたのですもの。
あの方。浅田薊(あざみ)様。東京市の大学で勉強していらっしゃる学生さんなのよ。研究の一環だとかで、地方の伝承やわらべ唄を集めて回っているのですって。
毎日になんの変化もないこの村に、突然現れた薊様はまるで異人さんのようでした。同じ男性でも、村の土臭い男衆とは全然違う。青葉の表面をそっとなでる涼風のような方。儚げな彼の肢体には、重さがあるのかしらと思うほどよ。
その薊様が、ことのほかこの唄に興味を持たれてね。村長(むらおさ)の家を何度も訪ねては、古老連から唄の由来を聞くようになったの。私たちにはただの耳慣れた唄に過ぎないものに興味を持つなんて、東京の学生さんは違う、と村の誰もが噂したものよ。
だけど二度、三度、遠い東京からわざわざ汽車を乗り継いでやって来る薊様の姿に、村の人たちはやがて気付き始めたの。
もしや学生さんは、例の唄や伝承だけではない、村長の家の一人娘にも興味があるのではないだろうか? 近隣の村でも評判の美人の一人娘。
程なくして、薊様がこの娘を嫁に欲しいと申し出た時は、誰もが我が意を得たり、と互いの顔を見合ったものよ。やはり薊様は村長の一人娘に惚れていたのだと。
ええ、つまりこの私よ。
彼の結婚の申し入れがどれほど私の心を浮き立たせたか、想像できますかしら? 私だってずっと心中で薊様をお慕いしておりましたもの。
だって初めてお会いした時、薊様はなんて言ってくださったと思う? 私の顔をじぃっと見つめて、こう言ったのよ。
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